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麺棒の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:239 高松市仏生山町・昭和3年生まれの男性の証言 2017.10.16
戦前の仏生山にはうどん屋が7軒くらいあった 戦前~戦後に、ダシの入ったとっくりを釜で温めている店があった 子供の頃(戦前)、家でうどんは食べていましたか? 食べとった。うちの家で作ったんは、たいてい「打ち込みうどん」やの。昔はどの家にも、うどんを打つための打ち板と麺棒があった。うち …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:239 高松市仏生山町・昭和3年生まれの男性の証言 2017.10.16
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- さぬきうどん 開業ヒストリー / vol:12 長楽(綾歌郡宇多津町) 2017.10.09
第一話 長楽(綾歌郡宇多津町)・前編 峠の路地に佇む製麺所型うどん店。「長楽」は大将の名字です。 聞き手・文:田尾和俊 お話:長楽の大将、奥さん 県道33号線(旧国道11号線)の坂出市と宇多津町の境にある田尾坂。そのてっぺんの路地に隠れるように佇む昭和の製麺所型うどん店「長楽 …
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- さぬきうどん 開業ヒストリー / vol:12 長楽(綾歌郡宇多津町) 2017.10.09
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:237 旧仲多度郡琴南町東谷・昭和19年生まれの女性の証言 2017.10.02
谷川米穀店の近くには水車がたくさんあった 昔、家で水車で製粉をしていた 出身はまんのう町です。昔の琴南。琴南の東谷や。生まれも育ちもここ。お嫁に行ってないからな。うどんはここら辺の人は、みな手で全部しよったね。各家で日常的にしよった。うちんところも結構うどん食べよったで。ご飯がす …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:237 旧仲多度郡琴南町東谷・昭和19年生まれの女性の証言 2017.10.02
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:236 旧綾上町上羽床・昭和26年生まれの女性の証言 2017.09.28
脚の付いた打ち台で母がうどんを打っていた 脚の付いた板でうどんを打っていた 私んとこの家は綾上(旧綾歌郡綾上町・現在は綾川町に合併)の上羽床。「池内」と「山越」の中間地点ぐらいやわ。「山越」の前から東に行ったら、昔の商店街みたいなんがあるでしょう? あの辺。今はその北側に国道が通 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:236 旧綾上町上羽床・昭和26年生まれの女性の証言 2017.09.28
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:227 観音寺市観音寺町(旧中央町)・昭和8年生まれの女性の証言 2017.08.28
戦時中は畑で作った小麦でうどんを作っていた 打ち込みうどんにたまに入るエビジャコが美味しかった 生まれは観音寺。観音寺町のなー、昔は中央(旧観音寺市中央町・観音寺町に統合)言よった。家はなあ、柳町の出口にフードセンター(現ベビーフェイスプラネッツ茶屋)あるやろ。食堂があるとこ。そこ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:227 観音寺市観音寺町(旧中央町)・昭和8年生まれの女性の証言 2017.08.28
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:226 旧綾南町・昭和12年生まれの男性の証言 2017.08.24
昭和33年まで「奥村車」という水車をやっていた 水車で小麦を製粉して「替え粉」に 私のとこは「奥村車」いう水車をやってたんですよ。記録では、水車は滝宮に6カ所あったと。綾川の昔の橋の下に「上車」いうんと、今の新しい11号線の橋の下に「中車」いうんがあって、これが古かったんですな。それで …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:226 旧綾南町・昭和12年生まれの男性の証言 2017.08.24
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
半夏には小麦粉七貫目分うどんを打っていた 半夏にはうどんをすることになっていた 生まれは柞田町の下出。家は農家でな。田植えが終わった半夏には、うどんせないかんことにしとった。うちではうどん粉七貫目(約26kg)ぐらい打っちょった。あの頃の家族は9人もおったけんな。半夏のうどんはな …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:221 旧綾歌郡綾南町・昭和16年生まれの男性の証言 2017.08.03
小作率の高さと小麦の小作料免除が讃岐うどん普及の原因か?! 戦中戦後は麦飯と打ち込みうどん 僕が生まれたのは農家。ごく普通の農家ですな。父親が36才の時に戦争にとられて昭和20年に沖縄で戦死したんです。おふくろも同じ頃にこっちで病気で死んで、当時のことやから過労か、何の病気かわからんわな。今みたい …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:221 旧綾歌郡綾南町・昭和16年生まれの男性の証言 2017.08.03
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:219 高松市伏石町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.07.24
県外の法事に馬渕のうどんを持っていって喜ばれた 生地の切れ端を、きりたんぽのようにして食べた 生まれは岡山ですが、空襲で焼き出されたために生後すぐ、母の里の伏石(高松市)に家族で移り住みました。 昔の伏石は現在の住宅地のイメージとはほど遠く、田んぼや畑ばかり。隣の林町も一面の原っぱで …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:219 高松市伏石町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.07.24
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:217 高松市男木町・昭和15年生まれの男性の証言 2017.07.17
寺のうどんは檀家さんからのお布施の小麦粉で 高松からフェリーでうどん玉の入ったせいろが運ばれていた 子どもの時の記憶なのでどこまで正確にお話できるかわかりませんが、昭和20〜30年頃の男木島には、うどんを食べさせてくれる店はなかったはずです。 もちろん、島にうどんがなかったわけで …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:217 高松市男木町・昭和15年生まれの男性の証言 2017.07.17