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農家の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:244 観音寺市流岡町・昭和8年生まれの男性の証言 2017.11.02
古き観音寺のうどんと財田川の川魚の思い出 打ち込みのうどんは叔母の家からもらっていた 私の実家はね、流岡(観音寺市流岡町)の加麻良(かまら)神社にあるん。皆からは「丸山さん」て言われとって、叔父がそこの神主。親父は高校の先生で、最後の学校は観一(観音寺第一高校)だったかな。 家 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:244 観音寺市流岡町・昭和8年生まれの男性の証言 2017.11.02
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:239 高松市仏生山町・昭和3年生まれの男性の証言 2017.10.16
戦前の仏生山にはうどん屋が7軒くらいあった 戦前~戦後に、ダシの入ったとっくりを釜で温めている店があった 子供の頃(戦前)、家でうどんは食べていましたか? 食べとった。うちの家で作ったんは、たいてい「打ち込みうどん」やの。昔はどの家にも、うどんを打つための打ち板と麺棒があった。うち …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:239 高松市仏生山町・昭和3年生まれの男性の証言 2017.10.16
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:237 旧仲多度郡琴南町東谷・昭和19年生まれの女性の証言 2017.10.02
谷川米穀店の近くには水車がたくさんあった 昔、家で水車で製粉をしていた 出身はまんのう町です。昔の琴南。琴南の東谷や。生まれも育ちもここ。お嫁に行ってないからな。うどんはここら辺の人は、みな手で全部しよったね。各家で日常的にしよった。うちんところも結構うどん食べよったで。ご飯がす …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:237 旧仲多度郡琴南町東谷・昭和19年生まれの女性の証言 2017.10.02
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:235 観音寺市流岡町・昭和22年生まれの女性の証言 2017.09.25
高瀬の「渡辺」は元々観音寺にあった 高知で母が打ち込みうどんを作ってくれていた 生まれた所は流岡(ながりょおか・観音寺市流岡町)ですけど、小学校の物心つかん時ぐらいから高校までは、高知県の方でずっとおった。父が国鉄行っきょったんで、地元で生まれながら地元でいなかったんです。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:235 観音寺市流岡町・昭和22年生まれの女性の証言 2017.09.25
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:230 観音寺市室本町・大正10年生まれの女性の証言 2017.09.07
嫁ぎ先では“ヨソトオンナ”がうどんを打っていた 隣の「明月」からうどんを取っていた 生まれは昭和でないです。古いんじゃ。大正10年1月1日(いちじつ)生まれ。父がな「お正月やのに、ゆっくり出て来い言うたのに、お前はワサワサと出てきた」って(笑)。生まれたおうちはね、室本(観音寺市室本町 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:230 観音寺市室本町・大正10年生まれの女性の証言 2017.09.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:226 旧綾南町・昭和12年生まれの男性の証言 2017.08.24
昭和33年まで「奥村車」という水車をやっていた 水車で小麦を製粉して「替え粉」に 私のとこは「奥村車」いう水車をやってたんですよ。記録では、水車は滝宮に6カ所あったと。綾川の昔の橋の下に「上車」いうんと、今の新しい11号線の橋の下に「中車」いうんがあって、これが古かったんですな。それで …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:226 旧綾南町・昭和12年生まれの男性の証言 2017.08.24
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:223 仲多度郡多度津町青木・昭和17年生まれの女性の証言 2017.08.10
実家でうどんと言えば打ち込みうどんだった 年中打ち込みうどんを食べていた 生まれは多度津。多度津のな、元の「しかむら」で青木(おおき)いうとこやけどな。今はもうよーけ住宅が入ったけど、昔は30~40軒ぐらいしかない田んぼの中やった。青木には北山と本村いうんがあるんやけど、その本村 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:223 仲多度郡多度津町青木・昭和17年生まれの女性の証言 2017.08.10
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
半夏には小麦粉七貫目分うどんを打っていた 半夏にはうどんをすることになっていた 生まれは柞田町の下出。家は農家でな。田植えが終わった半夏には、うどんせないかんことにしとった。うちではうどん粉七貫目(約26kg)ぐらい打っちょった。あの頃の家族は9人もおったけんな。半夏のうどんはな …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:221 旧綾歌郡綾南町・昭和16年生まれの男性の証言 2017.08.03
小作率の高さと小麦の小作料免除が讃岐うどん普及の原因か?! 戦中戦後は麦飯と打ち込みうどん 僕が生まれたのは農家。ごく普通の農家ですな。父親が36才の時に戦争にとられて昭和20年に沖縄で戦死したんです。おふくろも同じ頃にこっちで病気で死んで、当時のことやから過労か、何の病気かわからんわな。今みたい …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:221 旧綾歌郡綾南町・昭和16年生まれの男性の証言 2017.08.03
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:219 高松市伏石町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.07.24
県外の法事に馬渕のうどんを持っていって喜ばれた 生地の切れ端を、きりたんぽのようにして食べた 生まれは岡山ですが、空襲で焼き出されたために生後すぐ、母の里の伏石(高松市)に家族で移り住みました。 昔の伏石は現在の住宅地のイメージとはほど遠く、田んぼや畑ばかり。隣の林町も一面の原っぱで …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:219 高松市伏石町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.07.24