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観音寺市の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:302 観音寺市大野原町・昭和24年生まれの女性の証言 2021.03.11
第67番札所大興寺でお遍路さんのお接待を受け継ぐ(サイトウ美容室・齋藤清美さんのお話) 明治時代から大興寺でお遍路さんの「うどんのお接待」を続けてきた お接待の百葉うどん 大興寺でお遍路さんに「うどんのお接待」をされているそうですね。 毎年4月の第3日曜にしてます。私は昭和50年にここへ嫁いできたんですけど、その時にはこの家 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:302 観音寺市大野原町・昭和24年生まれの女性の証言 2021.03.11
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:301 昭和19年生まれの男性の証言 2020.09.21
昭和20年代、観音寺市観音寺町周辺のうどんの思い出 観音寺にも「喫茶店のうどん」があった 昔の観音寺市内のうどんの記憶を教えて下さい。 昭和38年に高校卒業やけん、昭和28年~29年頃やのう。はっきりは覚えとらんのやけど、中洲(観音寺市観音寺町)のそこの隅っこ、餃子屋の横にわしの同級生の親 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:301 昭和19年生まれの男性の証言 2020.09.21
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:288 三豊市詫間町・昭和28年生まれの男性の証言 2019.02.13
うどんは乾麺しか食べてなかった(三豊市詫間町 Lazybones カツベさんのお話) 昭和30年代の詫間は乾麺が多かったと思う お生まれは何年ですか? 昭和28年。戦争は終わってましたが、まだ貧しかったですよ。このあたり(詫間町詫間蟻ノ首)は農村で、私の家も農家でした。荘内半島の先の方に出れば漁業がほとんどやったけど、こっ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:288 三豊市詫間町・昭和28年生まれの男性の証言 2019.02.13
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:285 三豊郡大野原町(現観音寺市大野原町)・昭和32年生まれの男性の証言 2018.12.20
権平うどんのたらいに入った釜揚げが最高だった 実家のスーパーで生うどんを売ってた 昭和39年頃、家が大野原町の役場のあるあたりでスーパーの走りみたいな小さい店を始めたんですけど、うどん関連の商品では、「大西」さんという製麺所だったかうどん屋だったかからうどん玉を仕入れて売っていました …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:285 三豊郡大野原町(現観音寺市大野原町)・昭和32年生まれの男性の証言 2018.12.20
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:282 観音寺市駅通り・大正15年生まれの女性の証言 2018.09.24
打ち込みうどんは“切り込み隊” 「観音寺のうどんは柳川さんじゃな」 観音寺のおうどんなあ。昭和の初め言うたら「柳川」さんくらいじゃな。一番古いんはな。昔はようけあったけど、「岩田」さんも閉めたしな。昔は方方にあったんや、私が子供の自分にはな。けどみんな一代でやめたけんな …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:282 観音寺市駅通り・大正15年生まれの女性の証言 2018.09.24
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:281 観音寺市観音寺町・昭和31年生まれの男性の証言 2018.09.20
昭和の観音寺のうどんの記憶(器屋茶房がらん堂 真鍋泰明さんのお話) 大野原の萩原のおばあちゃんが打ってた細麺のうどんがおいしかった 子供の頃(昭和40年前後)、近くにあったのは「ふみよ」っていううどん屋さん。うどん屋といっても、麺は確か「柳川」から仕入れてたと思うんだけど。うちにお客さんが来たら親に「ちょ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:281 観音寺市観音寺町・昭和31年生まれの男性の証言 2018.09.20
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:275 観音寺市豊浜町・昭和18年生まれの男性の証言 2018.08.02
豊浜は乾麺の本場だった(総合麺メーカー「株式会社マルキン」合田会長のお話) 豊浜の海運会社が乾麺を作り始めた?! マルキンさんは古くから豊浜で製麺業をされていますが、昔の豊浜はどんな町だったんですか? 豊浜町は農地改革(昭和21年)があるまでは大きな地主が結構おってな。地主がおって、小作がおって。地主は蔵を持って …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:275 観音寺市豊浜町・昭和18年生まれの男性の証言 2018.08.02
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
岩田うどんから仕入れたうどん玉を食堂で出していた 高知から出てきて観音寺で食堂を始めた 出身は高知の山ん中の豊永(現大豊町。昔、大豊町周辺は豊永郷と呼ばれていた)。雨がよう降るところです。高知の山の中でも、田んぼのあるところは田植えが済んだら「さあ五目(寿司)する」言うて、寿司を作って、 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
昭和20~30年代の観音寺の様子がいきいきと お母さんがもろぶたでうどんを伸ばしていた 生まれは観音寺の幸町の一心寺の前。うどんは母がずーっと打っちょりました。農家やきん、雨が降ったりして田んぼ行けん時に。一年中いつでも打って、ご飯の代わりにしよったな。 生地をゴザに敷いてな。カカ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08
母親のうどんは、山梨と香川のハイブリッドだった 家のうどんは“ほうとう”だった 生まれは観音寺の植田町。家は瓦屋やったん。おうどんは母親がしよった。踏んでたよ、アタシも。でもね、アタシんとこは母が山梨なん。だから、おうどんは“ほうとう”ばっかりやった。「今日はあのおうどんしよう」言うた …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08