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祭りの投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:256 旧三豊郡豊中町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.12.14
余った法事のうどんを坊さんが持って帰っていた 農協で交換した小麦粉で打ち込みうどん 生まれは豊中町(旧三豊郡豊中町・現在は三豊市に合併)の農家で、観音寺市にお嫁に来たとこも農家やった。 昔は家でおうどん打っちょったね。うちは母親が練って丸めてな。うまいことこうやって、伸ばっしょった …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:256 旧三豊郡豊中町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.12.14
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:246 旧三豊郡大野原町下杉林・大正13年生まれの女性の証言 2017.11.09
机の端に取り付けて使う「家庭用うどん製造機」があった 家では卓上型の機械でうどんを作っていた 出所(でどこ)はな、大野原(旧三豊郡大野原町・現在は観音寺市に合併)の下杉林(しもすぎばい)いうとこ。杉林で「すぎばい」って読むん。ハイバラの方にな、下杉林と上杉林(かみすぎばい)いうんがあるんやん …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:246 旧三豊郡大野原町下杉林・大正13年生まれの女性の証言 2017.11.09
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:243 高松市田町・昭和31年生まれの女性の証言 2017.10.30
町中のうどん屋で生まれ育って、嫁いだ先でまたうどん 祖父が田町でうどん食堂をやっていた 私は昭和31年に田町の商店街で生まれて、高校1年の冬まで住んでいたんですけど、私のおじいちゃんがそこでうどん屋をしてたんです。おじいちゃんの名前の「久三郎」から取って「すし久(きゅう)」っていう名前の店 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:243 高松市田町・昭和31年生まれの女性の証言 2017.10.30
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:239 高松市仏生山町・昭和3年生まれの男性の証言 2017.10.16
戦前の仏生山にはうどん屋が7軒くらいあった 戦前~戦後に、ダシの入ったとっくりを釜で温めている店があった 子供の頃(戦前)、家でうどんは食べていましたか? 食べとった。うちの家で作ったんは、たいてい「打ち込みうどん」やの。昔はどの家にも、うどんを打つための打ち板と麺棒があった。うち …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:239 高松市仏生山町・昭和3年生まれの男性の証言 2017.10.16
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:231 三豊市財田町・大正15年生まれの女性の証言 2017.09.11
肉屋と風呂屋の間にあった小さな店に毎日通っていた 何かあったらすぐうどんを作っていた 生まれは大正15年2月27日です。もう2日遅かったらなー、2月29日で誕生日が4年にいっぺんしか来んきん、今頃ハタチや。まー、大正15年はうるう年違うんやけどなー(笑)。実家は財田大野。周りは全部百姓や …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:231 三豊市財田町・大正15年生まれの女性の証言 2017.09.11
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:227 観音寺市観音寺町(旧中央町)・昭和8年生まれの女性の証言 2017.08.28
戦時中は畑で作った小麦でうどんを作っていた 打ち込みうどんにたまに入るエビジャコが美味しかった 生まれは観音寺。観音寺町のなー、昔は中央(旧観音寺市中央町・観音寺町に統合)言よった。家はなあ、柳町の出口にフードセンター(現ベビーフェイスプラネッツ茶屋)あるやろ。食堂があるとこ。そこ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:227 観音寺市観音寺町(旧中央町)・昭和8年生まれの女性の証言 2017.08.28
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
半夏には小麦粉七貫目分うどんを打っていた 半夏にはうどんをすることになっていた 生まれは柞田町の下出。家は農家でな。田植えが終わった半夏には、うどんせないかんことにしとった。うちではうどん粉七貫目(約26kg)ぐらい打っちょった。あの頃の家族は9人もおったけんな。半夏のうどんはな …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:221 旧綾歌郡綾南町・昭和16年生まれの男性の証言 2017.08.03
小作率の高さと小麦の小作料免除が讃岐うどん普及の原因か?! 戦中戦後は麦飯と打ち込みうどん 僕が生まれたのは農家。ごく普通の農家ですな。父親が36才の時に戦争にとられて昭和20年に沖縄で戦死したんです。おふくろも同じ頃にこっちで病気で死んで、当時のことやから過労か、何の病気かわからんわな。今みたい …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:221 旧綾歌郡綾南町・昭和16年生まれの男性の証言 2017.08.03
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:209 高松市伏石町・昭和17年生まれの男性の証言 2017.06.12
田植え前に用水路を掃除した時も、製麺所でうどんを食べた 専門店が登場する以前に、うどんが食べられる食堂があちこちにあった 伏石が今のように宅地化される以前、地域一帯が田んぼや畑ばかりだった昭和20年代。今でこそ、当たり前のように見掛けるうどん専門店は一軒も存在しませんでした。当時、うどんが食べ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:209 高松市伏石町・昭和17年生まれの男性の証言 2017.06.12
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:206 旧綾南町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.01
昔の人はほんまにうどん打つのがうまかった 「今日うどんにしよか」で家で打つ 私は綾南町陶の生まれでね、昔はみんな、うどんは家で踏んで作ってた。ござで包んで踏んで、子供もお手伝いで踏むんよ。昔はどこの家にもおくどさんがあったから、大きな釜が二つあって、うどん湯がいてたんね。 特に …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:206 旧綾南町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.01