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田植えの投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
半夏には小麦粉七貫目分うどんを打っていた 半夏にはうどんをすることになっていた 生まれは柞田町の下出。家は農家でな。田植えが終わった半夏には、うどんせないかんことにしとった。うちではうどん粉七貫目(約26kg)ぐらい打っちょった。あの頃の家族は9人もおったけんな。半夏のうどんはな …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:210 高松市多肥上町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.15
郊外の個人店の方が、農協よりも製粉代が安かった? 小麦粉は納屋で一斗缶に保存 田んぼや畑を1町6反(約1.6ヘクタール、甲子園球場のグラウンドの約1.23倍)も持っていた、大家族の農家の娘として生まれました。子どもだった頃の昭和20年代の多肥は、今のような住宅地ではなく、見渡す限りの農地 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:210 高松市多肥上町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.15
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:209 高松市伏石町・昭和17年生まれの男性の証言 2017.06.12
田植え前に用水路を掃除した時も、製麺所でうどんを食べた 専門店が登場する以前に、うどんが食べられる食堂があちこちにあった 伏石が今のように宅地化される以前、地域一帯が田んぼや畑ばかりだった昭和20年代。今でこそ、当たり前のように見掛けるうどん専門店は一軒も存在しませんでした。当時、うどんが食べ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:209 高松市伏石町・昭和17年生まれの男性の証言 2017.06.12