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昭和30年代の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:254 旧三豊郡三野町・昭和25年生まれの女性の証言 2017.12.07
家を建てる大工さんに毎日うどんを取っていた 雨が降ると農作業ができんので、うどんを打っていた 生まれは三野町(旧三豊市三野町・現在は三豊市に合併)です。家は農業と、あと色々やってました。少しですけど乳牛(ちちうし)も飼ってましたね。 小学校の時は雨が降るとね、家でうどん作ってまし …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:254 旧三豊郡三野町・昭和25年生まれの女性の証言 2017.12.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:253 高松市三谷町・昭和18年生まれの男性の証言 2017.12.04
うどんやパンはもちろん、酒やタバコまで小麦と交換できた お金がなくても小麦があれば生活できた時代 昔の三谷(高松市)には、うどん屋なんてなかったなぁ。でも、製麺所はあった。小麦を持って行ったら、うどん玉に換えてくれた。店には醤油が置いてあって、それを掛けて店で食べることもできとったよ。今の店の …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:253 高松市三谷町・昭和18年生まれの男性の証言 2017.12.04
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:252 丸亀市本島町・昭和24年生まれの女性の証言 2017.11.30
怒られないように気を配って食べた、本島の伝説コブうどん(本島のお食事処「所見坊」大里さんのお話) 本島にはうどんをする文化がなかった アタシねえ、生まれは本島(丸亀市本島町)。うちは回船業やってたんですよ。沖に大きな船が泊まったら、荷物を渡船で渡してた。フェリーの待合室に写真があったでしょ? あれがうちの祖父。だから私、船漕げますよ。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:252 丸亀市本島町・昭和24年生まれの女性の証言 2017.11.30
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:251 高松市三谷町・昭和15年生まれの男性の証言 2017.11.27
近所の連中が集まってうどんを作るのは、当時の最大の娯楽 小麦は売っても安いため、うどんにして食べた 打ち込みうどんは昔、よう食べた。自分とこだけじゃのうて、三谷(高松市)の人間ならみんな食べとったやろ。 当時、三谷に住んどった人間は農家ばっかり。山の斜面にも田んぼや畑があったほど、農業が盛ん …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:251 高松市三谷町・昭和15年生まれの男性の証言 2017.11.27
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:250 旧香川郡塩江町安原・昭和17年生まれの男性の証言 2017.11.23
挽き立ての小麦粉は熱くて運ぶのが大変だった 家には中学まで電気が来てなかった 僕は塩江(旧塩江町・現在は高松市に合併)の安原ですね。昔、塩江にガソリンカー(塩江温泉鉄道・1929年から41年まで仏生山と塩江の間で運航されていた)いうガソリンで走る鉄道が走んりょったんやけど、戦争で燃 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:250 旧香川郡塩江町安原・昭和17年生まれの男性の証言 2017.11.23
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:247 高松市三谷町・昭和19年生まれの男性の証言 2017.11.13
農協のうどんを作るところは町の溜まり場 こんまい頃(昭和30年前後)は、農協で作ってもろたうどんを食べとった。農家をしよったんやけど、田んぼで小麦も作っとって、収穫したらいっつも農家に60kg預けとった。やけど、農協で粉にしてもろたら半分くらいにしかならん。その小麦粉で、うどん …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:247 高松市三谷町・昭和19年生まれの男性の証言 2017.11.13
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:246 旧三豊郡大野原町下杉林・大正13年生まれの女性の証言 2017.11.09
机の端に取り付けて使う「家庭用うどん製造機」があった 家では卓上型の機械でうどんを作っていた 出所(でどこ)はな、大野原(旧三豊郡大野原町・現在は観音寺市に合併)の下杉林(しもすぎばい)いうとこ。杉林で「すぎばい」って読むん。ハイバラの方にな、下杉林と上杉林(かみすぎばい)いうんがあるんやん …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:246 旧三豊郡大野原町下杉林・大正13年生まれの女性の証言 2017.11.09
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:245 高松市三谷町・昭和23年生まれの女性の証言 2017.11.06
30kg分の小麦を製麺所へ預けていた 法事のお膳で出ていたうどん鉢は高さが低く、それ専用の器だった 打ち込みうどんは小さい頃によく食べました。作ってくれたのは祖父です。「釜屋」と呼んでいた台所の床は漆黒色をした木の板の間でしたが、作る時はその上に茶色の台を置き、そこでうどんを …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:245 高松市三谷町・昭和23年生まれの女性の証言 2017.11.06
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:244 観音寺市流岡町・昭和8年生まれの男性の証言 2017.11.02
古き観音寺のうどんと財田川の川魚の思い出 打ち込みのうどんは叔母の家からもらっていた 私の実家はね、流岡(観音寺市流岡町)の加麻良(かまら)神社にあるん。皆からは「丸山さん」て言われとって、叔父がそこの神主。親父は高校の先生で、最後の学校は観一(観音寺第一高校)だったかな。 家 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:244 観音寺市流岡町・昭和8年生まれの男性の証言 2017.11.02
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:242 高松市中山町・昭和22年生まれの女性の証言 2017.10.26
子供時代は姉が打ち込み汁を作ってくれた 果樹農家でも家で打ち込み汁を作っていた ご実家は農家でしたか? 実家は中山町の山手でしたから、田んぼの農家ではなく畑の方。みかんとかビワを作る農家でした。実家の方では、うどん屋さんは食べに行ったことはないですね。家で誰かが打ってましたから …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:242 高松市中山町・昭和22年生まれの女性の証言 2017.10.26