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昭和20年代の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:234 高松市仏生山町・昭和23年生まれの男性の証言 2017.09.21
近所の製麺所でうどん玉を買ってお客さんに出していた うどんには醤油だけ 子供の頃、うどんはご家庭では食べられてましたか? ほとんど食べてない。おうどん食べれるいうたらね、お祭りやお正月とかのおめでたい席に、お寿司とおうどんがセットで出てきよった。お祭りの時に食べるのは伸びたうどんよ。お祭り …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:234 高松市仏生山町・昭和23年生まれの男性の証言 2017.09.21
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:232 高松市塩上町・昭和2年生まれの男性の証言 2017.09.14
酒飲んだ帰りに夜鳴きうどん食って帰った(㈱溝口食糧・溝口要さんのお話) 家は高商近くの米屋 こちらのお米屋さんの創業は何年になりますか? 昭和5年です。僕は高松商業在学中に学徒動員されて、仮卒業して飛行訓練をしているうちに終戦になって、高松に戻ってきたのは昭和20年の大晦日。親父が食糧公団から変わった「食糧営 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:232 高松市塩上町・昭和2年生まれの男性の証言 2017.09.14
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:231 三豊市財田町・大正15年生まれの女性の証言 2017.09.11
肉屋と風呂屋の間にあった小さな店に毎日通っていた 何かあったらすぐうどんを作っていた 生まれは大正15年2月27日です。もう2日遅かったらなー、2月29日で誕生日が4年にいっぺんしか来んきん、今頃ハタチや。まー、大正15年はうるう年違うんやけどなー(笑)。実家は財田大野。周りは全部百姓や …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:231 三豊市財田町・大正15年生まれの女性の証言 2017.09.11
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:230 観音寺市室本町・大正10年生まれの女性の証言 2017.09.07
嫁ぎ先では“ヨソトオンナ”がうどんを打っていた 隣の「明月」からうどんを取っていた 生まれは昭和でないです。古いんじゃ。大正10年1月1日(いちじつ)生まれ。父がな「お正月やのに、ゆっくり出て来い言うたのに、お前はワサワサと出てきた」って(笑)。生まれたおうちはね、室本(観音寺市室本町 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:230 観音寺市室本町・大正10年生まれの女性の証言 2017.09.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:229 観音寺市旧元町・昭和14年生まれの女性の証言 2017.09.04
お客が来たら近所の店でうどんを買ってきていた 家の近所にあった「たいしょうまる」 生まれは観音寺の元町(観音寺市旧元町・旧港町の東隣・現在は港町と西本町に分割統合)です。うちは、最初お父さん勤めに行っきょったんやけどな、やめて豆腐屋しよった。 おうどんは、冬にお婆さんが打ち込みうど …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:229 観音寺市旧元町・昭和14年生まれの女性の証言 2017.09.04
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:225 観音寺市大野原町五郷・昭和2年生まれの女性の証言 2017.08.21
疎開先でお婆さんが打ち込みうどんを作ってくれた 打ち込みうどんにはエビジャコが入っていた 生まれは神戸です。お母さんのお里がね、五郷(旧三豊郡大野原町五郷・現在は観音寺市に合併)やったから、神戸の大空襲の前、昭和20年かな、それに帰って来た。弟たち家族は先に疎開して、私だけ挺身隊で神戸 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:225 観音寺市大野原町五郷・昭和2年生まれの女性の証言 2017.08.21
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:219 高松市伏石町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.07.24
県外の法事に馬渕のうどんを持っていって喜ばれた 生地の切れ端を、きりたんぽのようにして食べた 生まれは岡山ですが、空襲で焼き出されたために生後すぐ、母の里の伏石(高松市)に家族で移り住みました。 昔の伏石は現在の住宅地のイメージとはほど遠く、田んぼや畑ばかり。隣の林町も一面の原っぱで …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:219 高松市伏石町・昭和20年生まれの男性の証言 2017.07.24
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:218 丸亀市綾歌町・昭和14年生まれの男性の証言 2017.07.20
機械で製粉した小麦粉よりも、水車小屋で挽いた小麦粉の方が美味しかった 当時の製麺所は水車小屋から小麦粉を調達していた 昔の綾歌に、うどんが食べられる店はありましたか? 旧の綾上町に住んどったけど、うどんを食べられる飲食店なんて全くなかった。あったんは、うどんの玉を販売していた製麺所。うどんだけやのうて、そば …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:218 丸亀市綾歌町・昭和14年生まれの男性の証言 2017.07.20
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:217 高松市男木町・昭和15年生まれの男性の証言 2017.07.17
寺のうどんは檀家さんからのお布施の小麦粉で 高松からフェリーでうどん玉の入ったせいろが運ばれていた 子どもの時の記憶なのでどこまで正確にお話できるかわかりませんが、昭和20〜30年頃の男木島には、うどんを食べさせてくれる店はなかったはずです。 もちろん、島にうどんがなかったわけで …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:217 高松市男木町・昭和15年生まれの男性の証言 2017.07.17
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13
伊吹島からイワシを仕入れて作ったイリコを、小麦と物々交換していた 実家は港町のイリコ屋だった 私の出どこは港町。うちのとこはイリコ屋しよったんや。イワシは伊吹(島)に船で買いに行くんや。網で上げたぶんをそのまま買うて来て、ほんで釜で湯がく。湯がいたら、家の裏が広かったけん、そこへみんなでムシロをばーっと …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13