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戦後の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:300 仲多度郡多度津町元町・昭和8年生まれの男性の証言 2020.03.19
多度津のうどんにはホウレンソウが乗っていた 昔の多度津はやたらとうどん屋が多かった お生まれが昭和8年ということは、食べる物がだんだんなくなってくる時代に少年時代を過ごされたんですね。 小さい頃はまだ食べ物はありましたけど、戦争に入って行く昭和15年頃から後はだんだんなくなっていっ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:300 仲多度郡多度津町元町・昭和8年生まれの男性の証言 2020.03.19
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:295 坂出市文京町・昭和8年生まれの男性の証言 2019.07.08
坂出のうどん屋も様変わりした(坂出の老舗「下川サイクル」の二代目下川一雄さんと三代目の息子さんのお話… こんまい時は「ぴっぴ食べるか?」て親に言われよった 讃岐言葉でうどんは「ぴっぴ」言いよった。わっしゃ、こんまい時は「ぴっぴ食べるか?」て親に言われよった。ちっちゃい時、幼稚園や行きよるぐらいの時やわな。大東亜戦争の前頃はよう言よったな。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:295 坂出市文京町・昭和8年生まれの男性の証言 2019.07.08
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:293 高松市古馬場町・昭和27年生まれの男性の証言 2019.05.09
昭和のライオン通の食堂の記憶(ライオン通・食堂「ほていや」ご主人さんのお話) 戦後すぐから始めた「うどんを出す大衆食堂」 「ほていや」さんの創業はいつ頃ですか? 戦後すぐの頃、親父がこの店を始めた。うちの親父は戦争から帰ってすぐ、大阪でお菓子屋の丁稚みたいになってたらしい。親父の兄弟が大阪におったもんやから。それか …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:293 高松市古馬場町・昭和27年生まれの男性の証言 2019.05.09
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:244 観音寺市流岡町・昭和8年生まれの男性の証言 2017.11.02
古き観音寺のうどんと財田川の川魚の思い出 打ち込みのうどんは叔母の家からもらっていた 私の実家はね、流岡(観音寺市流岡町)の加麻良(かまら)神社にあるん。皆からは「丸山さん」て言われとって、叔父がそこの神主。親父は高校の先生で、最後の学校は観一(観音寺第一高校)だったかな。 家 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:244 観音寺市流岡町・昭和8年生まれの男性の証言 2017.11.02
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:241 高松市丸亀町・昭和15年生まれの女性の証言 2017.10.23
戦前戦後の仏生山はうどん屋さんが多かった 「野口」でうどんの美味しさを知った 子供の頃のうどんの記憶は? 私ね、高松の丸亀町のまん中で生まれた町の子なんで、家ではおうどんしなかったから、小さい頃はおうどん食べたことない。少し大きくなってからは食堂でラーメン食べたりおうどん食べたり …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:241 高松市丸亀町・昭和15年生まれの女性の証言 2017.10.23
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- さぬきうどん 開業ヒストリー / vol:11 松川屋(高松市扇町) 2017.08.17
全一話 松川屋(高松市扇町) JR高松駅から伸びる線路沿いに古い町並みが残る、高松市扇町。その車一台ほどしか通れない路地の中に、町の小さな食堂型うどん店「松川屋」があった。戦前から2015年まで、100年にわたって地元の人たちに愛され続けた松川屋の三代目ご主人・松川さ …
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- さぬきうどん 開業ヒストリー / vol:11 松川屋(高松市扇町) 2017.08.17
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:141 観音寺市・昭和22年生まれの男性の証言 2016.06.30
親父が作る「黄色いうどん」の思い出 カナダ産の強力粉に卵の卵黄を入れて作る「黄色いうどん」 うちの親父は「うどん打ちが上手い」と村でも評判だった。その親父が打つのが、なんと「黄色いうどん」なんや。私も小学生の頃から高校生の頃までよく手伝わされた。 うちは農家やったんで、農作業 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:141 観音寺市・昭和22年生まれの男性の証言 2016.06.30