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天ぷらの投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:307 坂出市文京町・昭和17年生まれの女性の証言 2022.12.19
坂出中心街で最初のセルフうどん「宮川」と、坂出の食堂うどんの思い出(着物と古布の店「べべや」・町羽玲… 昭和20年代後半の家のうどんの記憶 小さい頃、おうどんは食べていましたか? 食べよったよ。法事や祭りやいうたら、もう絶対セイロでうどん置いとったけんな。それとお寿司やわな。田舎は高屋町でな。白峯さん(白峯寺)の上がり口の角っこのとこの「宮 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:307 坂出市文京町・昭和17年生まれの女性の証言 2022.12.19
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:300 仲多度郡多度津町元町・昭和8年生まれの男性の証言 2020.03.19
多度津のうどんにはホウレンソウが乗っていた 昔の多度津はやたらとうどん屋が多かった お生まれが昭和8年ということは、食べる物がだんだんなくなってくる時代に少年時代を過ごされたんですね。 小さい頃はまだ食べ物はありましたけど、戦争に入って行く昭和15年頃から後はだんだんなくなっていっ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:300 仲多度郡多度津町元町・昭和8年生まれの男性の証言 2020.03.19
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:288 三豊市詫間町・昭和28年生まれの男性の証言 2019.02.13
うどんは乾麺しか食べてなかった(三豊市詫間町 Lazybones カツベさんのお話) 昭和30年代の詫間は乾麺が多かったと思う お生まれは何年ですか? 昭和28年。戦争は終わってましたが、まだ貧しかったですよ。このあたり(詫間町詫間蟻ノ首)は農村で、私の家も農家でした。荘内半島の先の方に出れば漁業がほとんどやったけど、こっ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:288 三豊市詫間町・昭和28年生まれの男性の証言 2019.02.13
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:286 高松市上林町・昭和6年生まれの男性の証言 2018.12.24
戦前から家で打ち込みを食べていた 小麦も野菜も味噌も自家製の打ち込み汁 小さい頃のうどんの記憶をお聞かせいただけますか? うどんの記憶があるんは、わしがなんぼぐらいだったか、3つか4つの頃(昭和9年~10年頃)小麦粉を練ったのをこんまい(小さい)板の上で伸ばして切って、そ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:286 高松市上林町・昭和6年生まれの男性の証言 2018.12.24
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:285 三豊郡大野原町(現観音寺市大野原町)・昭和32年生まれの男性の証言 2018.12.20
権平うどんのたらいに入った釜揚げが最高だった 実家のスーパーで生うどんを売ってた 昭和39年頃、家が大野原町の役場のあるあたりでスーパーの走りみたいな小さい店を始めたんですけど、うどん関連の商品では、「大西」さんという製麺所だったかうどん屋だったかからうどん玉を仕入れて売っていました …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:285 三豊郡大野原町(現観音寺市大野原町)・昭和32年生まれの男性の証言 2018.12.20
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:283 仲多度郡多度津町西浜・大正14年生まれの女性の証言 2018.10.29
椅子もテーブルもなく、乾いたカマボコの乗ってくるうどん屋があった(旬和花瀬(旧料亭花だん)大女将・小… 鍋ものの締めには必ずうどん 「旬和花瀬」さんの前身の料亭「花だん」さんで、料理の締めにうどんを出していたとお聞きしたんですが。 はい、鍋ものの後は必ず、おうどんを支度しておきます。あと、すき焼きの後にもおうどんを入れます。鍋とかすき焼きと …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:283 仲多度郡多度津町西浜・大正14年生まれの女性の証言 2018.10.29
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:278 綾歌郡綾川町滝宮・昭和24年生まれの男性の証言 2018.08.23
安藤うどんは2本多い(笑) 小学校の校長時代に子供が自分だけで弁当を作る「弁当の日」を考案、実施するなど長年香川県の教育現場で活躍され、現在は全国で「食育」に関する講演活動をされている竹下和男先生に、「昭和のうどん」についてお話をお伺いしました。 郷土料理は「食育」 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:278 綾歌郡綾川町滝宮・昭和24年生まれの男性の証言 2018.08.23
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:271 坂出市青梅町・昭和11年生まれの女性の証言 2018.02.19
山寺の自給自足のうどん 山の中のお寺で自給自足の生活をしていた 坂出の山の中の一軒家に、昭和11年に生まれました。実家はお寺だけど、うちは山の上だから檀家がないの。だから自給自足して生活を守らないかん。父が山の麓に行って稲の余ったのをもろうて来て、水田をして。さ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:271 坂出市青梅町・昭和11年生まれの女性の証言 2018.02.19
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:266 高松市藤塚町・昭和20年生まれの女性の証言 2018.01.18
祭りの日に祖母の家で、色粉の天ぷらと一緒にうどんを食べた 昭和20~30年代の田町商店街にうどん屋はなかった!? 田町の商店街にほど近い場所に住んでいました。物心が付いた頃、商店街にはすでにアーケードが掛けられていましたが、うどん屋の記憶はありません。金物屋は何軒もありましたが…。以後、昭和30 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:266 高松市藤塚町・昭和20年生まれの女性の証言 2018.01.18
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:261 高松市栗林町・昭和13年生まれの男性の証言 2018.01.01
アズマヤのうどんは喫茶を始めた時からあった(藤本デザイン研究室・藤本誠さんのお話) うどん作りは自然に覚えるものだった ウチの家は高松の栗林。旧市内や(「旧市内」は大正10年11月1日に高松市が香川郡栗林村を編入した時点での市域。要するに高松市の中心市域です)。元は栗林の集会場の所にあった「ひかり製紙」という製紙工場や。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:261 高松市栗林町・昭和13年生まれの男性の証言 2018.01.01