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商店街の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:299 東かがわ市(旧大内町)・昭和30年生まれの女性の証言 2020.02.27
喫茶店で食べてたうどん 父は住宅の建築士をしてて、私が幼い頃は子守りを兼ねて、自転車の後ろに私を乗せて現場回りをしてました。私がぐずったり、休憩の時にはよく喫茶店に入ってたんですけど、よく行ってたのは三本松の旧商店街の、なかんちょ(中ノ町?)にあった喫茶店「こと …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:299 東かがわ市(旧大内町)・昭和30年生まれの女性の証言 2020.02.27
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:295 坂出市文京町・昭和8年生まれの男性の証言 2019.07.08
坂出のうどん屋も様変わりした(坂出の老舗「下川サイクル」の二代目下川一雄さんと三代目の息子さんのお話… こんまい時は「ぴっぴ食べるか?」て親に言われよった 讃岐言葉でうどんは「ぴっぴ」言いよった。わっしゃ、こんまい時は「ぴっぴ食べるか?」て親に言われよった。ちっちゃい時、幼稚園や行きよるぐらいの時やわな。大東亜戦争の前頃はよう言よったな。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:295 坂出市文京町・昭和8年生まれの男性の証言 2019.07.08
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:293 高松市古馬場町・昭和27年生まれの男性の証言 2019.05.09
昭和のライオン通の食堂の記憶(ライオン通・食堂「ほていや」ご主人さんのお話) 戦後すぐから始めた「うどんを出す大衆食堂」 「ほていや」さんの創業はいつ頃ですか? 戦後すぐの頃、親父がこの店を始めた。うちの親父は戦争から帰ってすぐ、大阪でお菓子屋の丁稚みたいになってたらしい。親父の兄弟が大阪におったもんやから。それか …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:293 高松市古馬場町・昭和27年生まれの男性の証言 2019.05.09
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:287 仲多度郡多度津町・昭和3年生まれの男性の証言 2018.12.27
大平正芳元総理の兄は乾麺を作っていた 多度津のうどんはうまかった やっぱ昔の多度津のはうどんはうまかったと思う。 最近はわりとどこでも美味しいうどんやさんありますけど、昔は地域差大きかったですか? 昔の高松のうどんは口に合わなんだんや。でも、高松の林町や高松市南部の方いった …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:287 仲多度郡多度津町・昭和3年生まれの男性の証言 2018.12.27
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:279 高松市丸亀町・昭和31年生まれの男性の証言 2018.08.27
高松の中心街のうどんの記憶(「街角に音楽を@香川」代表理事 鹿庭弘百さんのお話) 甘めのダシの「源芳」 子どもの頃のうどんの思い出をお伺いできますか? うちはね、丸亀町3丁目で「鹿庭カバン」っていう商売やってたの。何人か住み込みの人がいたり、店員さんがいてね。昼になると、お手伝いさんがうどん屋から玉を買ってきてみんなに …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:279 高松市丸亀町・昭和31年生まれの男性の証言 2018.08.27
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:274 坂出市文京町・昭和36年生まれの男性の証言 2018.07.16
小僧寿しの工場がうどん屋になった(「おいしこく株式会社」代表取締役・松井隆さんのお話) <小学校のバザーで舌が肥えた(笑)> “幻のトウガラシ”「香川本鷹」をはじめ讃岐の名産を数多く取り扱う「おいしこく株式会社」の松井社長は、同社を起業する前には製麺会社にお勤めだったということもあって、讃岐うどんには人一倍の思い入れがあるは …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:274 坂出市文京町・昭和36年生まれの男性の証言 2018.07.16
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:266 高松市藤塚町・昭和20年生まれの女性の証言 2018.01.18
祭りの日に祖母の家で、色粉の天ぷらと一緒にうどんを食べた 昭和20~30年代の田町商店街にうどん屋はなかった!? 田町の商店街にほど近い場所に住んでいました。物心が付いた頃、商店街にはすでにアーケードが掛けられていましたが、うどん屋の記憶はありません。金物屋は何軒もありましたが…。以後、昭和30 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:266 高松市藤塚町・昭和20年生まれの女性の証言 2018.01.18
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
昭和20~30年代の観音寺の様子がいきいきと お母さんがもろぶたでうどんを伸ばしていた 生まれは観音寺の幸町の一心寺の前。うどんは母がずーっと打っちょりました。農家やきん、雨が降ったりして田んぼ行けん時に。一年中いつでも打って、ご飯の代わりにしよったな。 生地をゴザに敷いてな。カカ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:261 高松市栗林町・昭和13年生まれの男性の証言 2018.01.01
アズマヤのうどんは喫茶を始めた時からあった(藤本デザイン研究室・藤本誠さんのお話) うどん作りは自然に覚えるものだった ウチの家は高松の栗林。旧市内や(「旧市内」は大正10年11月1日に高松市が香川郡栗林村を編入した時点での市域。要するに高松市の中心市域です)。元は栗林の集会場の所にあった「ひかり製紙」という製紙工場や。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:261 高松市栗林町・昭和13年生まれの男性の証言 2018.01.01
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:259 坂出市中央町・昭和26年生まれの男性の証言 2017.12.25
坂出の商店街の中に4、5軒くらいうどん屋があった おじいさんが小麦粉関係の仕事で坂出に引っ越してきた 坂出生まれの坂出育ちで、成人してからは仕事で全国を回ってました。私の親の代は高松の庵治に住んでいて、私のお爺さんが日清の小麦粉に関する仕事をしてた関係で坂出に引っ越して来ました。 お爺 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:259 坂出市中央町・昭和26年生まれの男性の証言 2017.12.25