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半夏の投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:223 仲多度郡多度津町青木・昭和17年生まれの女性の証言 2017.08.10
実家でうどんと言えば打ち込みうどんだった 年中打ち込みうどんを食べていた 生まれは多度津。多度津のな、元の「しかむら」で青木(おおき)いうとこやけどな。今はもうよーけ住宅が入ったけど、昔は30~40軒ぐらいしかない田んぼの中やった。青木には北山と本村いうんがあるんやけど、その本村 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:223 仲多度郡多度津町青木・昭和17年生まれの女性の証言 2017.08.10
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
半夏には小麦粉七貫目分うどんを打っていた 半夏にはうどんをすることになっていた 生まれは柞田町の下出。家は農家でな。田植えが終わった半夏には、うどんせないかんことにしとった。うちではうどん粉七貫目(約26kg)ぐらい打っちょった。あの頃の家族は9人もおったけんな。半夏のうどんはな …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:222 観音寺市柞田町下出・昭和10年生まれの男性の証言 2017.08.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:220 観音寺港町・昭和9年生まれの女性の証言 2017.07.31
エビジャコだけでダシをとった漁師のうどん 漁師は忙しいのでうどん玉を買ってきていた 私の家は漁師。観音寺の港でな。うちの方はあんまりうどんは打ってくれんかった。皆漁師やけん、忙しから。けど港にうどん屋よーけあったけん、そこで玉を分けてもろて来てな。ほんでダシを自分とこでしよった。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:220 観音寺港町・昭和9年生まれの女性の証言 2017.07.31
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13
伊吹島からイワシを仕入れて作ったイリコを、小麦と物々交換していた 実家は港町のイリコ屋だった 私の出どこは港町。うちのとこはイリコ屋しよったんや。イワシは伊吹(島)に船で買いに行くんや。網で上げたぶんをそのまま買うて来て、ほんで釜で湯がく。湯がいたら、家の裏が広かったけん、そこへみんなでムシロをばーっと …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:210 高松市多肥上町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.15
郊外の個人店の方が、農協よりも製粉代が安かった? 小麦粉は納屋で一斗缶に保存 田んぼや畑を1町6反(約1.6ヘクタール、甲子園球場のグラウンドの約1.23倍)も持っていた、大家族の農家の娘として生まれました。子どもだった頃の昭和20年代の多肥は、今のような住宅地ではなく、見渡す限りの農地 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:210 高松市多肥上町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.15
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:209 高松市伏石町・昭和17年生まれの男性の証言 2017.06.12
田植え前に用水路を掃除した時も、製麺所でうどんを食べた 専門店が登場する以前に、うどんが食べられる食堂があちこちにあった 伏石が今のように宅地化される以前、地域一帯が田んぼや畑ばかりだった昭和20年代。今でこそ、当たり前のように見掛けるうどん専門店は一軒も存在しませんでした。当時、うどんが食べ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:209 高松市伏石町・昭和17年生まれの男性の証言 2017.06.12