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ネギの投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:298 仲多度郡多度津町西浜・昭和22年生まれの女性の証言 2019.11.21
多度津町西浜周辺のうどんと“うまいもん”の思い出 母親が作る「うどんダシ」がすごくおいしかった! 多度津は港が栄えていたと聞きました。 そやな、昔は大阪行きの船が出とったかな。賑やかだったよ。花火大会とかもあって。 うどんは、西浜の近くに製麺所があったな。店で小麦粉から打ってうどん玉を …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:298 仲多度郡多度津町西浜・昭和22年生まれの女性の証言 2019.11.21
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:296 綾歌郡綾川町滝宮・昭和10年生まれの男性の証言 2019.10.31
お見合いでうどんをお代わりしたら「OK」?!(綾川町うどん研究会会長 杉村和則さんのお話) 家で作った小麦を「水車さん」で粉に挽いてもらって… 僕は昭和11年生まれだから、小さい頃は食料統制の時代でした。戦中は米もサツマイモも全部供出で、家に残るのはとても売れないようなイモの筋くらいでね。イモの葉っぱまで食べよりましたから、食べ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:296 綾歌郡綾川町滝宮・昭和10年生まれの男性の証言 2019.10.31
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:293 高松市古馬場町・昭和27年生まれの男性の証言 2019.05.09
昭和のライオン通の食堂の記憶(ライオン通・食堂「ほていや」ご主人さんのお話) 戦後すぐから始めた「うどんを出す大衆食堂」 「ほていや」さんの創業はいつ頃ですか? 戦後すぐの頃、親父がこの店を始めた。うちの親父は戦争から帰ってすぐ、大阪でお菓子屋の丁稚みたいになってたらしい。親父の兄弟が大阪におったもんやから。それか …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:293 高松市古馬場町・昭和27年生まれの男性の証言 2019.05.09
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:291 仲多度郡まんのう町羽間・昭和12年生まれの男性の証言 2019.03.18
「二番粉(にばんこ)」のうどんがおいしかった 法事のうどん 昔はな、農家でもそんなにしょっちゅううどん食べてはおらなかった。いろんな仕事の区切りとか、お正月前の年末とか、仏事とか。仏事も、法事にお参りに来たら法事が始まる前におうどんを出す。その時は湯だめのうどん。それを食べてもらって …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:291 仲多度郡まんのう町羽間・昭和12年生まれの男性の証言 2019.03.18
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:290 坂出市旧内浜町(現八幡町)・昭和25年生まれの女性の証言 2019.03.14
坂出市旧内浜町周辺のうどんの思い出 玉売りの「荒井」と乾麺の「おおぎた」、年越しそばは「池田屋」で 生まれたのは坂出旧市内の内浜(うちはま)。9歳まで住んどったけど、昭和41年に町名改正して、もう町名すら残ってないわ。内浜は今、八幡町になるんかな? 埋め立てしたり団地ができ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:290 坂出市旧内浜町(現八幡町)・昭和25年生まれの女性の証言 2019.03.14
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:288 三豊市詫間町・昭和28年生まれの男性の証言 2019.02.13
うどんは乾麺しか食べてなかった(三豊市詫間町 Lazybones カツベさんのお話) 昭和30年代の詫間は乾麺が多かったと思う お生まれは何年ですか? 昭和28年。戦争は終わってましたが、まだ貧しかったですよ。このあたり(詫間町詫間蟻ノ首)は農村で、私の家も農家でした。荘内半島の先の方に出れば漁業がほとんどやったけど、こっ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:288 三豊市詫間町・昭和28年生まれの男性の証言 2019.02.13
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:274 坂出市文京町・昭和36年生まれの男性の証言 2018.07.16
小僧寿しの工場がうどん屋になった(「おいしこく株式会社」代表取締役・松井隆さんのお話) <小学校のバザーで舌が肥えた(笑)> “幻のトウガラシ”「香川本鷹」をはじめ讃岐の名産を数多く取り扱う「おいしこく株式会社」の松井社長は、同社を起業する前には製麺会社にお勤めだったということもあって、讃岐うどんには人一倍の思い入れがあるは …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:274 坂出市文京町・昭和36年生まれの男性の証言 2018.07.16
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
岩田うどんから仕入れたうどん玉を食堂で出していた 高知から出てきて観音寺で食堂を始めた 出身は高知の山ん中の豊永(現大豊町。昔、大豊町周辺は豊永郷と呼ばれていた)。雨がよう降るところです。高知の山の中でも、田んぼのあるところは田植えが済んだら「さあ五目(寿司)する」言うて、寿司を作って、 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
昭和20~30年代の観音寺の様子がいきいきと お母さんがもろぶたでうどんを伸ばしていた 生まれは観音寺の幸町の一心寺の前。うどんは母がずーっと打っちょりました。農家やきん、雨が降ったりして田んぼ行けん時に。一年中いつでも打って、ご飯の代わりにしよったな。 生地をゴザに敷いてな。カカ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08
母親のうどんは、山梨と香川のハイブリッドだった 家のうどんは“ほうとう”だった 生まれは観音寺の植田町。家は瓦屋やったん。おうどんは母親がしよった。踏んでたよ、アタシも。でもね、アタシんとこは母が山梨なん。だから、おうどんは“ほうとう”ばっかりやった。「今日はあのおうどんしよう」言うた …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08