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ツケの投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:293 高松市古馬場町・昭和27年生まれの男性の証言 2019.05.09
昭和のライオン通の食堂の記憶(ライオン通・食堂「ほていや」ご主人さんのお話) 戦後すぐから始めた「うどんを出す大衆食堂」 「ほていや」さんの創業はいつ頃ですか? 戦後すぐの頃、親父がこの店を始めた。うちの親父は戦争から帰ってすぐ、大阪でお菓子屋の丁稚みたいになってたらしい。親父の兄弟が大阪におったもんやから。それか …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:293 高松市古馬場町・昭和27年生まれの男性の証言 2019.05.09
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08
母親のうどんは、山梨と香川のハイブリッドだった 家のうどんは“ほうとう”だった 生まれは観音寺の植田町。家は瓦屋やったん。おうどんは母親がしよった。踏んでたよ、アタシも。でもね、アタシんとこは母が山梨なん。だから、おうどんは“ほうとう”ばっかりやった。「今日はあのおうどんしよう」言うた …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:261 高松市栗林町・昭和13年生まれの男性の証言 2018.01.01
アズマヤのうどんは喫茶を始めた時からあった(藤本デザイン研究室・藤本誠さんのお話) うどん作りは自然に覚えるものだった ウチの家は高松の栗林。旧市内や(「旧市内」は大正10年11月1日に高松市が香川郡栗林村を編入した時点での市域。要するに高松市の中心市域です)。元は栗林の集会場の所にあった「ひかり製紙」という製紙工場や。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:261 高松市栗林町・昭和13年生まれの男性の証言 2018.01.01
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:253 高松市三谷町・昭和18年生まれの男性の証言 2017.12.04
うどんやパンはもちろん、酒やタバコまで小麦と交換できた お金がなくても小麦があれば生活できた時代 昔の三谷(高松市)には、うどん屋なんてなかったなぁ。でも、製麺所はあった。小麦を持って行ったら、うどん玉に換えてくれた。店には醤油が置いてあって、それを掛けて店で食べることもできとったよ。今の店の …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:253 高松市三谷町・昭和18年生まれの男性の証言 2017.12.04
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:250 旧香川郡塩江町安原・昭和17年生まれの男性の証言 2017.11.23
挽き立ての小麦粉は熱くて運ぶのが大変だった 家には中学まで電気が来てなかった 僕は塩江(旧塩江町・現在は高松市に合併)の安原ですね。昔、塩江にガソリンカー(塩江温泉鉄道・1929年から41年まで仏生山と塩江の間で運航されていた)いうガソリンで走る鉄道が走んりょったんやけど、戦争で燃 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:250 旧香川郡塩江町安原・昭和17年生まれの男性の証言 2017.11.23