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ゴザの投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:307 坂出市文京町・昭和17年生まれの女性の証言 2022.12.19
坂出中心街で最初のセルフうどん「宮川」と、坂出の食堂うどんの思い出(着物と古布の店「べべや」・町羽玲… 昭和20年代後半の家のうどんの記憶 小さい頃、おうどんは食べていましたか? 食べよったよ。法事や祭りやいうたら、もう絶対セイロでうどん置いとったけんな。それとお寿司やわな。田舎は高屋町でな。白峯さん(白峯寺)の上がり口の角っこのとこの「宮 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:307 坂出市文京町・昭和17年生まれの女性の証言 2022.12.19
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:280 綾歌郡綾川町滝宮・昭和17年生まれの男性の証言 2018.08.30
セイロに20玉は「青海波盛り」、24玉は「にーよん盛り」(綾川町うどん研究会副会長 村山潔さんのお話… 製造販売も仕入れ販売もやっていた「田井」のうどん屋 綾川町の昭和のうどん店の様子についてお伺いできたらと思います。 戦後の昭和20年代、ここら辺で「うどん屋」というのは、うどん玉を作って売る製麺所や、玉を仕入れて売る小売店がほとんどでした …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:280 綾歌郡綾川町滝宮・昭和17年生まれの男性の証言 2018.08.30
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:271 坂出市青梅町・昭和11年生まれの女性の証言 2018.02.19
山寺の自給自足のうどん 山の中のお寺で自給自足の生活をしていた 坂出の山の中の一軒家に、昭和11年に生まれました。実家はお寺だけど、うちは山の上だから檀家がないの。だから自給自足して生活を守らないかん。父が山の麓に行って稲の余ったのをもろうて来て、水田をして。さ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:271 坂出市青梅町・昭和11年生まれの女性の証言 2018.02.19
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:266 高松市藤塚町・昭和20年生まれの女性の証言 2018.01.18
祭りの日に祖母の家で、色粉の天ぷらと一緒にうどんを食べた 昭和20~30年代の田町商店街にうどん屋はなかった!? 田町の商店街にほど近い場所に住んでいました。物心が付いた頃、商店街にはすでにアーケードが掛けられていましたが、うどん屋の記憶はありません。金物屋は何軒もありましたが…。以後、昭和30 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:266 高松市藤塚町・昭和20年生まれの女性の証言 2018.01.18
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
昭和20~30年代の観音寺の様子がいきいきと お母さんがもろぶたでうどんを伸ばしていた 生まれは観音寺の幸町の一心寺の前。うどんは母がずーっと打っちょりました。農家やきん、雨が降ったりして田んぼ行けん時に。一年中いつでも打って、ご飯の代わりにしよったな。 生地をゴザに敷いてな。カカ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:210 高松市多肥上町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.15
郊外の個人店の方が、農協よりも製粉代が安かった? 小麦粉は納屋で一斗缶に保存 田んぼや畑を1町6反(約1.6ヘクタール、甲子園球場のグラウンドの約1.23倍)も持っていた、大家族の農家の娘として生まれました。子どもだった頃の昭和20年代の多肥は、今のような住宅地ではなく、見渡す限りの農地 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:210 高松市多肥上町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.15