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カマボコの投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
岩田うどんから仕入れたうどん玉を食堂で出していた 高知から出てきて観音寺で食堂を始めた 出身は高知の山ん中の豊永(現大豊町。昔、大豊町周辺は豊永郷と呼ばれていた)。雨がよう降るところです。高知の山の中でも、田んぼのあるところは田植えが済んだら「さあ五目(寿司)する」言うて、寿司を作って、 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:261 高松市栗林町・昭和13年生まれの男性の証言 2018.01.01
アズマヤのうどんは喫茶を始めた時からあった(藤本デザイン研究室・藤本誠さんのお話) うどん作りは自然に覚えるものだった ウチの家は高松の栗林。旧市内や(「旧市内」は大正10年11月1日に高松市が香川郡栗林村を編入した時点での市域。要するに高松市の中心市域です)。元は栗林の集会場の所にあった「ひかり製紙」という製紙工場や。 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:261 高松市栗林町・昭和13年生まれの男性の証言 2018.01.01
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:258 仲多度郡琴平町・昭和21年生まれの男性の証言 2017.12.21
うどんが具に入ったすき焼きを食べていた 家で食べていたのは「かけうどん」と「うどんすき」 生まれは琴平の街中。実家は金比羅さんの門前の方で土産物屋をしてました。うどんは家でしよったねえ。打っちょったのは爺ちゃん。道具も家にありました。 食べ方は今でいう「かけうどんや」な。イリ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:258 仲多度郡琴平町・昭和21年生まれの男性の証言 2017.12.21
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:256 旧三豊郡豊中町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.12.14
余った法事のうどんを坊さんが持って帰っていた 農協で交換した小麦粉で打ち込みうどん 生まれは豊中町(旧三豊郡豊中町・現在は三豊市に合併)の農家で、観音寺市にお嫁に来たとこも農家やった。 昔は家でおうどん打っちょったね。うちは母親が練って丸めてな。うまいことこうやって、伸ばっしょった …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:256 旧三豊郡豊中町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.12.14
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:250 旧香川郡塩江町安原・昭和17年生まれの男性の証言 2017.11.23
挽き立ての小麦粉は熱くて運ぶのが大変だった 家には中学まで電気が来てなかった 僕は塩江(旧塩江町・現在は高松市に合併)の安原ですね。昔、塩江にガソリンカー(塩江温泉鉄道・1929年から41年まで仏生山と塩江の間で運航されていた)いうガソリンで走る鉄道が走んりょったんやけど、戦争で燃 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:250 旧香川郡塩江町安原・昭和17年生まれの男性の証言 2017.11.23
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:232 高松市塩上町・昭和2年生まれの男性の証言 2017.09.14
酒飲んだ帰りに夜鳴きうどん食って帰った(㈱溝口食糧・溝口要さんのお話) 家は高商近くの米屋 こちらのお米屋さんの創業は何年になりますか? 昭和5年です。僕は高松商業在学中に学徒動員されて、仮卒業して飛行訓練をしているうちに終戦になって、高松に戻ってきたのは昭和20年の大晦日。親父が食糧公団から変わった「食糧営 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:232 高松市塩上町・昭和2年生まれの男性の証言 2017.09.14
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:231 三豊市財田町・大正15年生まれの女性の証言 2017.09.11
肉屋と風呂屋の間にあった小さな店に毎日通っていた 何かあったらすぐうどんを作っていた 生まれは大正15年2月27日です。もう2日遅かったらなー、2月29日で誕生日が4年にいっぺんしか来んきん、今頃ハタチや。まー、大正15年はうるう年違うんやけどなー(笑)。実家は財田大野。周りは全部百姓や …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:231 三豊市財田町・大正15年生まれの女性の証言 2017.09.11
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:230 観音寺市室本町・大正10年生まれの女性の証言 2017.09.07
嫁ぎ先では“ヨソトオンナ”がうどんを打っていた 隣の「明月」からうどんを取っていた 生まれは昭和でないです。古いんじゃ。大正10年1月1日(いちじつ)生まれ。父がな「お正月やのに、ゆっくり出て来い言うたのに、お前はワサワサと出てきた」って(笑)。生まれたおうちはね、室本(観音寺市室本町 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:230 観音寺市室本町・大正10年生まれの女性の証言 2017.09.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:229 観音寺市旧元町・昭和14年生まれの女性の証言 2017.09.04
お客が来たら近所の店でうどんを買ってきていた 家の近所にあった「たいしょうまる」 生まれは観音寺の元町(観音寺市旧元町・旧港町の東隣・現在は港町と西本町に分割統合)です。うちは、最初お父さん勤めに行っきょったんやけどな、やめて豆腐屋しよった。 おうどんは、冬にお婆さんが打ち込みうど …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:229 観音寺市旧元町・昭和14年生まれの女性の証言 2017.09.04
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13
伊吹島からイワシを仕入れて作ったイリコを、小麦と物々交換していた 実家は港町のイリコ屋だった 私の出どこは港町。うちのとこはイリコ屋しよったんや。イワシは伊吹(島)に船で買いに行くんや。網で上げたぶんをそのまま買うて来て、ほんで釜で湯がく。湯がいたら、家の裏が広かったけん、そこへみんなでムシロをばーっと …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13