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かけうどんの投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:230 観音寺市室本町・大正10年生まれの女性の証言 2017.09.07
嫁ぎ先では“ヨソトオンナ”がうどんを打っていた 隣の「明月」からうどんを取っていた 生まれは昭和でないです。古いんじゃ。大正10年1月1日(いちじつ)生まれ。父がな「お正月やのに、ゆっくり出て来い言うたのに、お前はワサワサと出てきた」って(笑)。生まれたおうちはね、室本(観音寺市室本町 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:230 観音寺市室本町・大正10年生まれの女性の証言 2017.09.07
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:229 観音寺市旧元町・昭和14年生まれの女性の証言 2017.09.04
お客が来たら近所の店でうどんを買ってきていた 家の近所にあった「たいしょうまる」 生まれは観音寺の元町(観音寺市旧元町・旧港町の東隣・現在は港町と西本町に分割統合)です。うちは、最初お父さん勤めに行っきょったんやけどな、やめて豆腐屋しよった。 おうどんは、冬にお婆さんが打ち込みうど …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:229 観音寺市旧元町・昭和14年生まれの女性の証言 2017.09.04
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:227 観音寺市観音寺町(旧中央町)・昭和8年生まれの女性の証言 2017.08.28
戦時中は畑で作った小麦でうどんを作っていた 打ち込みうどんにたまに入るエビジャコが美味しかった 生まれは観音寺。観音寺町のなー、昔は中央(旧観音寺市中央町・観音寺町に統合)言よった。家はなあ、柳町の出口にフードセンター(現ベビーフェイスプラネッツ茶屋)あるやろ。食堂があるとこ。そこ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:227 観音寺市観音寺町(旧中央町)・昭和8年生まれの女性の証言 2017.08.28
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:218 丸亀市綾歌町・昭和14年生まれの男性の証言 2017.07.20
機械で製粉した小麦粉よりも、水車小屋で挽いた小麦粉の方が美味しかった 当時の製麺所は水車小屋から小麦粉を調達していた 昔の綾歌に、うどんが食べられる店はありましたか? 旧の綾上町に住んどったけど、うどんを食べられる飲食店なんて全くなかった。あったんは、うどんの玉を販売していた製麺所。うどんだけやのうて、そば …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:218 丸亀市綾歌町・昭和14年生まれの男性の証言 2017.07.20
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13
伊吹島からイワシを仕入れて作ったイリコを、小麦と物々交換していた 実家は港町のイリコ屋だった 私の出どこは港町。うちのとこはイリコ屋しよったんや。イワシは伊吹(島)に船で買いに行くんや。網で上げたぶんをそのまま買うて来て、ほんで釜で湯がく。湯がいたら、家の裏が広かったけん、そこへみんなでムシロをばーっと …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:216 観音寺市港町・昭和12年生まれの女性の証言 2017.07.13
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:214 観音寺市港町・昭和7年生まれの女性の証言 2017.07.06
風邪を引いたらうどん屋でとんぷくとかけうどんを買ってくれた 八百屋でうどん玉を買っていた 私ね、観音寺の港町(観音寺市旧港町)の生まれです。今の港町でなくて昔の港町。あの辺、町名変わったんでしょ。旧市内は一回、全部観音寺町の甲になっとった。今は元のに近い町名に戻ったからちょっとは分かりやすくなった …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:214 観音寺市港町・昭和7年生まれの女性の証言 2017.07.06
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:213 高松市牟礼町牟礼・昭和13年生まれの男性の証言 2017.07.03
人力で動かすうどん製造機があった うどんは行事があるときしか食べられなかった 生まれは牟礼町の牟礼。牟礼には大字が「牟礼」と「大町」と「原」の3つあるんですよ。昭和37年に町政改革で牟礼町になって今は高松市と合併してますけど、当時はまだ牟禮村で、木田郡の中では一番大きな人 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:213 高松市牟礼町牟礼・昭和13年生まれの男性の証言 2017.07.03
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:210 高松市多肥上町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.15
郊外の個人店の方が、農協よりも製粉代が安かった? 小麦粉は納屋で一斗缶に保存 田んぼや畑を1町6反(約1.6ヘクタール、甲子園球場のグラウンドの約1.23倍)も持っていた、大家族の農家の娘として生まれました。子どもだった頃の昭和20年代の多肥は、今のような住宅地ではなく、見渡す限りの農地 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:210 高松市多肥上町・昭和19年生まれの女性の証言 2017.06.15