- TOP
- いりこ
いりこの投稿一覧
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:283 仲多度郡多度津町西浜・大正14年生まれの女性の証言 2018.10.29
椅子もテーブルもなく、乾いたカマボコの乗ってくるうどん屋があった(旬和花瀬(旧料亭花だん)大女将・小… 鍋ものの締めには必ずうどん 「旬和花瀬」さんの前身の料亭「花だん」さんで、料理の締めにうどんを出していたとお聞きしたんですが。 はい、鍋ものの後は必ず、おうどんを支度しておきます。あと、すき焼きの後にもおうどんを入れます。鍋とかすき焼きと …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:283 仲多度郡多度津町西浜・大正14年生まれの女性の証言 2018.10.29
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:280 綾歌郡綾川町滝宮・昭和17年生まれの男性の証言 2018.08.30
セイロに20玉は「青海波盛り」、24玉は「にーよん盛り」(綾川町うどん研究会副会長 村山潔さんのお話… 製造販売も仕入れ販売もやっていた「田井」のうどん屋 綾川町の昭和のうどん店の様子についてお伺いできたらと思います。 戦後の昭和20年代、ここら辺で「うどん屋」というのは、うどん玉を作って売る製麺所や、玉を仕入れて売る小売店がほとんどでした …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:280 綾歌郡綾川町滝宮・昭和17年生まれの男性の証言 2018.08.30
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:277 高松市国分寺町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.08.20
父の「一日うどん屋」に見た“おもてなし”の心(香川県食農アドバイザー・農学博士・管理栄養士・元明善短… 学生から名家の奥様まで集っていた「天勝」 昭和25年頃、明善(現英明高校)の女学生だった私は、友達のみっちゃんと学校の通り道の高松駅近くにあった「天勝」でよくうどんを食べていました。当時の天勝のうどんは、今のファストフード的な出し方ではな …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:277 高松市国分寺町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.08.20
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:276 綾歌郡綾川町陶・昭和23年生まれの男性の証言 2018.08.16
綾川は「うどんを打つ文化」が根付いていた 僕もうどんが大好きでな~。中学1年の時、父親に「お前もちと練習せぇ」言われて初めてうどんを打ったんや。でき立ちのうどんをすぐに醤油かけて食べたら、これが無茶苦茶おいしかって、12玉一気に食べたら「これは明日の法事に使ううどんじゃが! 無し …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:276 綾歌郡綾川町陶・昭和23年生まれの男性の証言 2018.08.16
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
岩田うどんから仕入れたうどん玉を食堂で出していた 高知から出てきて観音寺で食堂を始めた 出身は高知の山ん中の豊永(現大豊町。昔、大豊町周辺は豊永郷と呼ばれていた)。雨がよう降るところです。高知の山の中でも、田んぼのあるところは田植えが済んだら「さあ五目(寿司)する」言うて、寿司を作って、 …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:272 丸亀市飯山町・昭和21年生まれの男性の証言 2018.04.26
中讃のうどんのルーツは「小縣家」、チェーン店の走りは「四國屋」 農作業の後で打ち込みうどん 子供の頃(昭和20年代)の記憶やけど、うちは農家だったから、平日は暗くなるまで農作業して、ほんで帰ってきてからご飯せないかんやん。うちはじいさんとかばあさんとかがおらんかったけん、ご飯は朝しか炊かんのやけど、晩 …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:272 丸亀市飯山町・昭和21年生まれの男性の証言 2018.04.26
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:271 坂出市青梅町・昭和11年生まれの女性の証言 2018.02.19
山寺の自給自足のうどん 山の中のお寺で自給自足の生活をしていた 坂出の山の中の一軒家に、昭和11年に生まれました。実家はお寺だけど、うちは山の上だから檀家がないの。だから自給自足して生活を守らないかん。父が山の麓に行って稲の余ったのをもろうて来て、水田をして。さ …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:271 坂出市青梅町・昭和11年生まれの女性の証言 2018.02.19
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:267 丸亀市魚屋町・昭和30年生まれの男性の証言 2018.01.22
丸亀の味は先々代あたりで決まっていた(有限会社原田商店・原田純さんのお話) 昔の商家でそのまま乾物屋 --原田商店さんは乾物屋さんですが、実は「丸亀市内に乾物屋さんが数軒あって、その乾物屋ごとの味をうどん屋さんに教えていって今の丸亀のうどんの味ができた」という話を聞いたんですが。 ほうな。それは知らん(笑)。けど …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:267 丸亀市魚屋町・昭和30年生まれの男性の証言 2018.01.22
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
昭和20~30年代の観音寺の様子がいきいきと お母さんがもろぶたでうどんを伸ばしていた 生まれは観音寺の幸町の一心寺の前。うどんは母がずーっと打っちょりました。農家やきん、雨が降ったりして田んぼ行けん時に。一年中いつでも打って、ご飯の代わりにしよったな。 生地をゴザに敷いてな。カカ …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
-
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08
母親のうどんは、山梨と香川のハイブリッドだった 家のうどんは“ほうとう”だった 生まれは観音寺の植田町。家は瓦屋やったん。おうどんは母親がしよった。踏んでたよ、アタシも。でもね、アタシんとこは母が山梨なん。だから、おうどんは“ほうとう”ばっかりやった。「今日はあのおうどんしよう」言うた …
-
- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08