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ダシの投稿一覧
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:279 高松市丸亀町・昭和31年生まれの男性の証言 2018.08.27
高松の中心街のうどんの記憶(「街角に音楽を@香川」代表理事 鹿庭弘百さんのお話) 甘めのダシの「源芳」 子どもの頃のうどんの思い出をお伺いできますか? うちはね、丸亀町3丁目で「鹿庭カバン」っていう商売やってたの。何人か住み込みの人がいたり、店員さんがいてね。昼になると、お手伝いさんがうどん屋から玉を買ってきてみんなに …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:279 高松市丸亀町・昭和31年生まれの男性の証言 2018.08.27
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:277 高松市国分寺町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.08.20
父の「一日うどん屋」に見た“おもてなし”の心(香川県食農アドバイザー・農学博士・管理栄養士・元明善短… 学生から名家の奥様まで集っていた「天勝」 昭和25年頃、明善(現英明高校)の女学生だった私は、友達のみっちゃんと学校の通り道の高松駅近くにあった「天勝」でよくうどんを食べていました。当時の天勝のうどんは、今のファストフード的な出し方ではな …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:277 高松市国分寺町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.08.20
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:276 綾歌郡綾川町陶・昭和23年生まれの男性の証言 2018.08.16
綾川は「うどんを打つ文化」が根付いていた 僕もうどんが大好きでな~。中学1年の時、父親に「お前もちと練習せぇ」言われて初めてうどんを打ったんや。でき立ちのうどんをすぐに醤油かけて食べたら、これが無茶苦茶おいしかって、12玉一気に食べたら「これは明日の法事に使ううどんじゃが! 無し …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:276 綾歌郡綾川町陶・昭和23年生まれの男性の証言 2018.08.16
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
岩田うどんから仕入れたうどん玉を食堂で出していた 高知から出てきて観音寺で食堂を始めた 出身は高知の山ん中の豊永(現大豊町。昔、大豊町周辺は豊永郷と呼ばれていた)。雨がよう降るところです。高知の山の中でも、田んぼのあるところは田植えが済んだら「さあ五目(寿司)する」言うて、寿司を作って、 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:273 高知県大豊町・昭和6年生まれの女性の証言 2018.04.30
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:272 丸亀市飯山町・昭和21年生まれの男性の証言 2018.04.26
中讃のうどんのルーツは「小縣家」、チェーン店の走りは「四國屋」 農作業の後で打ち込みうどん 子供の頃(昭和20年代)の記憶やけど、うちは農家だったから、平日は暗くなるまで農作業して、ほんで帰ってきてからご飯せないかんやん。うちはじいさんとかばあさんとかがおらんかったけん、ご飯は朝しか炊かんのやけど、晩 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:272 丸亀市飯山町・昭和21年生まれの男性の証言 2018.04.26
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:271 坂出市青梅町・昭和11年生まれの女性の証言 2018.02.19
山寺の自給自足のうどん 山の中のお寺で自給自足の生活をしていた 坂出の山の中の一軒家に、昭和11年に生まれました。実家はお寺だけど、うちは山の上だから檀家がないの。だから自給自足して生活を守らないかん。父が山の麓に行って稲の余ったのをもろうて来て、水田をして。さ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:271 坂出市青梅町・昭和11年生まれの女性の証言 2018.02.19
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:267 丸亀市魚屋町・昭和30年生まれの男性の証言 2018.01.22
丸亀の味は先々代あたりで決まっていた(有限会社原田商店・原田純さんのお話) 昔の商家でそのまま乾物屋 --原田商店さんは乾物屋さんですが、実は「丸亀市内に乾物屋さんが数軒あって、その乾物屋ごとの味をうどん屋さんに教えていって今の丸亀のうどんの味ができた」という話を聞いたんですが。 ほうな。それは知らん(笑)。けど …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:267 丸亀市魚屋町・昭和30年生まれの男性の証言 2018.01.22
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
昭和20~30年代の観音寺の様子がいきいきと お母さんがもろぶたでうどんを伸ばしていた 生まれは観音寺の幸町の一心寺の前。うどんは母がずーっと打っちょりました。農家やきん、雨が降ったりして田んぼ行けん時に。一年中いつでも打って、ご飯の代わりにしよったな。 生地をゴザに敷いてな。カカ …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:265 観音寺市幸町・昭和12年生まれの女性の証言 2018.01.15
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08
母親のうどんは、山梨と香川のハイブリッドだった 家のうどんは“ほうとう”だった 生まれは観音寺の植田町。家は瓦屋やったん。おうどんは母親がしよった。踏んでたよ、アタシも。でもね、アタシんとこは母が山梨なん。だから、おうどんは“ほうとう”ばっかりやった。「今日はあのおうどんしよう」言うた …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:263 観音寺市植田町・昭和22年生まれの女性の証言 2018.01.08
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:259 坂出市中央町・昭和26年生まれの男性の証言 2017.12.25
坂出の商店街の中に4、5軒くらいうどん屋があった おじいさんが小麦粉関係の仕事で坂出に引っ越してきた 坂出生まれの坂出育ちで、成人してからは仕事で全国を回ってました。私の親の代は高松の庵治に住んでいて、私のお爺さんが日清の小麦粉に関する仕事をしてた関係で坂出に引っ越して来ました。 お爺 …
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- さぬきうどん 昭和の証言 / vol:259 坂出市中央町・昭和26年生まれの男性の証言 2017.12.25