打ち込みうどんもドジョウうどんもおダシは醤油系
子どもの頃から、明治生まれの祖父が自宅でよくうどんを打ってくれていました。私が生まれる前の話ですが、昔(戦前)はうどん屋をしていたそうなんです。でも、やるのが少し早すぎたんでしょうね。儲からなかったようです。
家では打ち込みうどんやドジョウうどんなんかを、しょっちゅう作ってくれましたね。打ち込みうどんもドジョウうどんもおダシはお醤油でした。お野菜とお肉はカシワ。親戚の人が裁いて持ってきてくれていたと思います。私が子どもの頃は、どこのお宅でも食べるための鶏を飼っていて、それを絞めて食べていたと思いますよ。確かうちでも鶏を飼っていたはずですけど…、絞めるのを見た記憶はないから、どうだったのかしら。だけど、子どもの頃に食べるお肉は決まってカシワでしたね。
私が高校生くらいまでは、祖父がうどんを打ってたと思います。うどんづくりを祖母が手伝っているのは見たことありません。祖母は京都の人でしたから。私の両親は家でうどんを作ることはありませんでした。父はお勤めに出てましたし、母は祖父のお手伝いをすることくらいはあったと思いますけど、自分でうどんを打つということはなかったですね。
家族でうどんを外食した記憶はありませんね。製麺所で買うこともありませんでした。祖父が作ってくれるわけですから、その必要はなかったんだと思います。
食堂のうどんは他のメニューよりも安かった
高校を卒業してから、高松で少し働いていたのですが(昭和40年頃)、その頃は片原町の辺りでうどんを食べていました。お店の名前は覚えていませんけど、いくつかありました。その頃はどこの飲食店でもうどんがメニューにあったと思いますよ。ラーメンもありました。私はうどんは子どもの頃に十分食べましたから、どちらかというとラーメンの方が好きなんですけど、外で食べると他のメニューに比べてうどんはちょっとお安いんですね。だからお店ではラーメンよりうどんを選んで食べることがあったんです。
23歳くらいの時に善通寺に働きに出てからは、善通寺の駅前にあったお店の鍋焼きうどんをよく食べていました。それが本当に美味しかったんです。お店の名前も値段も思い出せませんけど、仕事が終わってよく食べていました。一人でです。お腹が空いていましたから。うどんの専門店でなくて食堂だったと思うんですけど、うどんのメニューが多かったんじゃないかしら。