香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

さぬき市志度・昭和25年生まれの女性の証言

家に大勢の人が集まった時だけ、うどんを食べていた

(取材・文:

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  • vol: 102
  • 2015.08.27

家に大勢の人が集まった時だけ、うどんを食べていた

小さい頃(昭和30年頃)に店でうどんを食べたことはないなぁ。近所に食べられる店も多分、なかったんやと思う。家でもそないに食べなんだ。農家をしとったけど、田植えが終わった時と法事や祭りの時、あとは盆と正月ぐらいかなぁ。なんせ家に大勢の人が集まった時にうどんを食べとった。田植えも近所の人や親戚と共同でしとったからな。

一升の小麦で10玉の麺がもらえた

家でうどんを食べる時は、いつも近所の製麺所に麺を用立てに行った。志度の大橋にあった製麺所へ。だいぶ前になくなったから店の名前は忘れたけど、国道11号線沿いにある「大橋」のバス停のすぐ近くにあった。大橋はJR志度駅と徳島文理大学のちょうど中間あたりの場所になるかな。そこへ小麦を二升ほど持って行って、麺に換えてもらっとった。一升あたり、10玉くらいもらえたんかなぁ。

家に集まってくる人に加えて、家族も10人近くの大所帯やったから、いつもよっけ玉がいった(必要やった)。でも、小麦は自分とこの畑で作っとったからなんぼでもあったし、確かお金も要らなんだ。もちろん手間賃として、麺に使っている量よりも少し多めに小麦は取られたけどな。

お金で麺を買うことができたかどうかは知らん。できたとしても、そんな人は少なかったんと違う? 周りは農家ばっかりやったから。その店でうどんを食べることはできなんだな。

そやけど、兄ちゃん。小麦を持って行ったらうどんに換えてくれる製麺所はもう、どこにもないんな? 製麺所ではもう製粉はせんのな? 東讃には昔、町に一つはそんな店があったけど。

しっくりとくる名前は、かけうどんよりも「素うどん」

うどんは冬はしっぽく、夏は素うどんで食べとった。素うどんのことを、今はかけうどんって言うんかな。昔は素うどんって言っとったから、あんまり馴染みがないけど。しっぽくに入れていた大根やニンジン、素うどんに入れていたネギも自分とこで作っとった。

ダシのことはよく憶えてないけど、夏にすうどんを温かいダシで食べた記憶はないなぁ。かと言って、冷蔵庫で冷やしていたという記憶もない。作ってから常温で冷ましたダシで食べとったんやと思う。

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