香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

さぬき市志度・昭和7年生まれの男性の証言

前山で小麦をうどんの粉に替えてもらっていた

(取材・文:

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  • vol: 99
  • 2015.08.21

前山で小麦をうどんの粉に替えてもらっていた

うどんはどんな時に食べていましたか?
 田植えが休みの日に食べよったなあ。うどんとお寿司は昔のご馳走や。「今日は田植えがお休みやけん、うどんでもするか、お寿司もするか」と言うて作りよった。おくどさんに大きなアルミニウムの釜を置いて、松葉を焚きつけて薪を焚いて、火ができたら、釜でうどんをゆがっきょった。親がうどんをこねて、塊になったら上から布をかける。踏むんは子供の仕事や。子供の頃に「勉強せえ」と言われたことはないけど、うどんの手伝いはさせられよったな。
うどん屋さんは近所になかった?
 この辺(志度)には、ほとんどなかったんちがうか? うどん屋に食べに行った記憶がないし…そもそも「外食」という言葉は子供の頃はなかった。その頃はみんな家で自給自足やった。
うどんを作る粉はどこで調達してた?
 粉は粉屋で買うてもいいし、交換してもよかった。前山ダムの下の方に水車のある粉屋があって、そこで粉を挽きよったから、親から「学校帰りに前山で粉替えてこい」って言われて、学校から自転車で寄って粉をもろうて帰りよったなあ。小麦を持って行ったら、それに相当した粉をくれよった。小麦は作りよる人から分けてもらいよったな。
うどんはどうやって食べてた?
 釜あげ、かけ、両方ともあったな。ダシは家で作った煮干しのダシ。この辺はカツオは使わんから、いりこに醤油入れたダシやったなあ。
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