「押し出し麺」のうどんを食べていた
昭和2~3年頃の記憶ですけど、実家の家の畑で小麦を作っていました。その収獲した小麦を、籾のまま製麺屋さんに持って行くと、持って行った小麦を製麺屋さんが一升瓶で量って、その量に見合っただけの別の小麦粉を出してきます。そして、その場でその小麦粉に塩水を混ぜてこねて団子にし(足で踏んではいなかった)、その団子を、じょうろの口みたいなのが付いた機械に入れて上から押したら、機械の下からトコロテンみたいに押し出されたうどんが出てくる。それを適当な長さに切って、渡してくれました。
そのうどんを持って帰って、家で茹でて食べていました。たいてい、田植えやお盆の時にそれをやっていました。小麦を製麺屋に持って行って麺をもらってくるのは、たいてい子供の仕事でした。
そのうどんを持って帰って、家で茹でて食べていました。たいてい、田植えやお盆の時にそれをやっていました。小麦を製麺屋に持って行って麺をもらってくるのは、たいてい子供の仕事でした。
昭和20年代に「バカ盛り」というハイカラな名前の店があった
昭和24~25年頃、トキワ街にうどん店が4~5軒ありました。隣同士に並んでいる店もありました。店の名前は、「おかだ」と「きみや」と「バカ盛り」というのを覚えています。あと、一般食堂には必ずうどんメニューがあって、出前もやっていました。当時は店屋物の出前は当たり前のようにやっていたと思います。