戦後のうどん屋はだいたい老夫婦がやっていた
- 子供の頃、どんなところでうどんを食べていましたか?
- 戦後、昭和30年頃の記憶ですけど、大体は家で食べていましたね。よろず屋みたいな、食料品店でセイロに積んであったうどん玉を買ってきて。ビニール袋ではなくて、幅の広い竹の皮みたいなのに包んでくれていました。製麺所が近くにあればそこで買ってたかもしれないけど、丸亀の街中だったので製麺所が近くになくて、たいていそういう店で玉を買ってきていました。けど、よそでも家庭が製麺屋から玉を買っていたという話は聞きませんでしたね。近所のうどん屋さんに食べに行ったというのは、小学校高学年か中学校に入ってからだから、昭和30年を過ぎてからです。小遣いをもらえるようになってから、たまに食べに行っていました。
- 家でうどんは打ってなかったんですか?
- 私の母親の家が農家で、母はいつも妹や弟と一緒にうどんを踏まされよったそうですわ。母は明治45年生まれですから、まあ大正時代か昭和に入った頃の話やと思いますが。農家では当時、どこも同じように家でうどん作りよったんじゃないですか? 母は子供でまだちっちゃいから言うて、弟をおぶってうどんを踏まされよったらしい。「踏むのに体重がいる」いうのは昔からわかっとったから。けど、その日に踏んで作ったうどんはすぐに茹でて食べよった言うから、今頃よく言う「生地を寝かせて」とかいうのは全然なかったと思いますね。でも、製麺所ができ始めてから、だんだん家で踏まんようになったと思います。
- 法事にうどんは食べていた?
- 法事はうどんは必ず出ていましたよ。
- つけ麺ですか。
- そう。毎回毎回、つけダシで食べていた。どこの法事に行ってもつけダシやったなあ。何でやろね。何の疑問も持たんと食べよったけど。つけダシにネギとゴマだけ入れて。それが、昔のつけダシはとにかく醤油辛いんですわ。今みたいに旨味のあるダシなんかどこにもなかった。
- その頃、近所にうどんを食べられる店はあったんですか?
- この辺は、町内に一軒はうどん屋があったん違いますか。うちの近くで言うと、城北小学校の北側にあった。今はもう駐車場になってますけど、そこは昔は東塩入川という川があって、川いうても満潮になったら潮が入ってきて、干潮になったら上流からちょろちょろ水が流れるような状態になる川で。上流はたぶん満濃池のユル抜きするところにつながってるんやないですか? あとは生活排水が流れ込んで。まあ当時は合成洗剤とかは使ってないからそんなに汚染されている川ではなかったと思うけど、ヘドロみたいなのはかなり溜まってたですね。その川は当時は橋がなくて、渡し船があったそうなんですよ。私が小学校に行くようになった時にはもう橋が架かってましたけど、渡し場の名残がまだありましたなあ。そこにあったうどん屋が一番近いうどん屋ですわ。
- その店はどんな感じの店ですか?
- 老夫婦が二人でやってる店でした。家の食卓みたいなテーブルが1つあって、7~8人で囲んで座って食べられるくらいのちっちゃい店で。メニューはうどんと、中華そばと、ばら寿司かおいなりさん。どこでもその3つは揃ってたから、当時のうどん屋さんの3点セットですな。うどんはカマボコとちっちゃい三角の油アゲが入っとった。ばら寿司とお皿に2個載せたいなり寿司がガラスケースに入れてあった。ラップやないから、たいてい干からびたみたいになっとったけど。あと、鍋焼きうどんがあったな。
- 鍋焼きですか?!
- 食べたことはないけど、確かにメニューにはありましたよ。あとは、お好み焼きを一緒にやっている店も結構ありましたな。頭の中に「うどん屋はお好み焼き屋と一緒にある」みたいな印象が残ってますから。当時はこの辺でお好み焼き屋がポコッとできることがようあった。普通の家が、突然鉄板一枚用意してお好み焼き屋になるいうのも見たし(笑)。けどまあ、普通の家いうても、ちょっと元玄人のおばちゃんみたいなのが始めたりしてましたな。お好み焼きとお酒を出したりして、ついでにうどんもあったり、という感じですな。うどん専門の店は、だいたい歳行ったおじいさんとおばあさんがやっているという印象ですわ。
- 店でうどんを打っていたんですか?
- いやいや、打ってない。たぶん製麺所から買うてきたやつを湯でさばいてダシをかけて出していた。玉売りもやってなかったですよ。店で粉から打ってうどんを出す店なんか、聞いたこともない。だいたい、「手打ち」が脚光を浴び始めたのは1990年代にうどんブームになってからでしょう。当時のうどん屋はみんな、座って待っとったら持って来てくれるのが当たり前やったですよ。
うどん屋はデートの場所?!
- そういう店に、中学生くらいからうどんを食べに行ってた。
- 中学1年生の時やから、昭和35年にね、近所に京都からおばちゃんが里帰りしてきたんですわ。そのおばちゃんが、きれいな人やったんですわ。日本髪結うてね、ほんまにべっぴんさんやった。そのおばちゃんにある日、「ちょっと荷物運ぶん手伝ってくれる?」いうて頼まれて。うれしいやん、そんなきれいな人に頼まれたら(笑)。それで自転車に荷物積んで、おばちゃんと一緒に土器川の土手をずーっと歩いて荷物を運んで、冬で寒かったから「おうどん食べよう」いうて、土手沿いにあったうどん屋に入ったんです。今、時計台いう喫茶がある所のちょっと北の土手に上がったあたりにあって、土手の道から踏み板を踏んでちょっと下がって店が建っとった。店いうてもテーブルが2つ3つだけでカウンターも小上がりもない、小さくてあまりきれいな店じゃなかった。それで店に入っておばちゃんと二人でうどんを食べたんですけど、寒い日にうどん屋に入って熱いうどん食べてたら鼻水が出てくるでしょ。ところが、その鼻水がすすれんのです。
- 何でですか?
- あまりにきれいなおばちゃんで、中学生の私は恥ずかしくて鼻水がすすれんかった。それが、ちょっと色気づき始めた私の初恋ですわ。店の名前? 覚えてないなあ。とにかくおばちゃんのことで頭がいっぱいで。
- うーん、ちょっといい話のような気もしますけど…(笑)。
- あの頃、うどん屋でデートするいう話を年上の人からちょいちょい聞きましたよ。
- うどん屋でデートしてたんですか。
- 喫茶店なんかなかったでしょ。街中にちょっとしたレストラン、いうても食堂のちょっと上ぐらいの店ですけど、小さな喫茶店なんかあらへんかったから、うどん屋がデートの場所だったみたいですよ。私が子供の頃、男の人と女の人がうどん屋に入っていくのを時々見ましたもん。あ、また知らん男の人と女の人がうどん屋に入って行っきょる…いうて。私、ちょっとマセてましたからね(笑)。
小学校の給食にうどん
- 映画『UDON』で小学校に製麺屋さんがうどんを運んで給食で食べているシーンがありましたけど、給食でうどんは出てましたか?
- 出てましたよ。週1ではなかったけど、月に1、2回だったかな。うどん屋さんが学校にセイロでうどん玉を持って来てね、映画『UDON』と全く同じ。うどん玉にダシがかかって、天かすとカマボコが載ってたかな。あとはパン。パンとうどんですよ(笑)。何かおかずがちょっとあったかもしれんけど。昭和30年代の前半な。栄養が云々とか、誰も言いよらんかったからなあ。まあのどかな時代やったわ。私が仕事し始めて1970年代(昭和50年頃)は、飯山のなかむらに行ったら、パトカーも市役所の車も郵便局員も電電公社の人も会社の車でうどん食べに来よったからなあ。今やったら「公用車でうどん食いに来やがって」とかいうてすぐに通報されるやろけど、昔はのどかでよかったですなあ。警察官なんか、鉄砲つけたままうどん食べよったで(笑)。