香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市国分寺町新名・昭和7年生まれの男性の証言

白井のうどん

(取材・文:

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  • vol: 76
  • 2015.07.16

白井のうどん

今の国分寺南部小学校は昔、山内小学校って言いよった。すぐ横を本津川が流れ、山内橋が架かっとる。その橋のたもとに「白井」いう手打ちうどん店があった。綾南の十亀の方で田んぼを持っていた人がやっていた。もう60年くらい前(昭和30年頃)かのう。

家の使いでうどん玉を買いに行って、たまにはできだち(できたて)のうどんを「生じょうゆ」をかけて店の中で食べたことがある。いつもは家で親父が打ってくれたうどんを食べていたけど、白井のうどんはとにかくうまかった。値段は10円もはせんかったと思うけど、確かなことはわからん。

 今みたいに、どこにでもうどん屋があるようになったのはまだ年数は浅いで。市(いち)や祭りや盆正月、法事くらいしかうどんを食わず、それも、だいたいは家で打ちよったもんや。

 学校の近くに松本水車という水車があり、同級生の親父がやっていた。本津川に水門があって、「車入れ」という水車を回すための用水を引き込んでいた。小麦粉を預けておいて、いる時に粉をもらってきて家でうどんを作りよった。松本水車は、大みそかになると年越しのそばやうどんを作って売っていた。あそこのはおいしいと評判で、家ではお歳暮みたいに親戚の家へ持って行っていた。もち米は上等なものは売って、くず米でもちをついていた。

 松本水車は、やがて同級生が家業を継ぎ、「松本電水」という名で商売を続けていた。さすがに水車はなくなったけど、動力で最近まで粉ひきは続けよったで。

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