足踏みしてないうどんを家で作っていた
屋島小学校から西に下ったところにある八坂神社の近くで育ったけど、子どもの頃(昭和10年代)はこの辺にうどん屋はなかったで。終戦後、しばらくしてから製麺所なんかが出来たはずや。
店はなかったけど、家ではよくうどんを食べとった。味噌汁の中に入れて。打ち込みうどん言うんかな。麺は母親が作っとったけど、足踏みまではしてなかった。水で溶いた小麦粉を手で捏ねて、ダンゴになった生地を切るだけ。商売をしとって仕事が忙しかったから、手間の掛かることはできんかった。
小麦粉は、自分とこの田んぼで作った小麦を農協に持って行って製粉してもろたやつを使っとった。〝踏み賃〟(手数料)が、なんぼいったかは覚えてない。
川島に「製麺をしている八百屋」が何軒かあった
川島(高松市)に母親の里があったんやけど、足踏みまでしているちゃんとしたうどんはそこで初めて食べた。
法事なんかの時には、かけうどんかしっぽくうどんのどちらかと、バラ寿司、練り物の天ぷらがセットで出た。当時の最高のご馳走や。お土産でその3つを重箱に入れて持って帰ることもあった。
里の川島では、うどんの麺を八百屋で買っとった。当時(戦前、戦中)、川島の方には八百屋と製麺所が一緒になった店が何軒かあったのを覚えとる。父親が漕ぐ自転車の後ろの荷台に乗って川島に行ったのが懐かしいなぁ。そう言えば、川島へ行くことを「空(そら)へ行く」って言うとったけど、何で空やったんやろか?