塩江あたりでは「ヤマドリ」のことを「しっぽこ」と言っていた
私も若い頃から県内のあちこちで結構うどんを食べよりましてね、後に大行列になる「山越」も、まだほとんど食べに来るお客さんもいなかった頃に何度も食べに行きよりましたけど、その頃はブームも何も起こっていない時代やったから、特にうどんに思い入れがあったというわけではなかったんです。
それがある時、香川の「しっぽくうどん」いうのに急に興味を持つきっかけがありましてね。それからいろいろ調べていっきょるうちに、香川の「しっぽく」いうのは、長崎から全国に広まったと言われる「しっぽく(卓袱)」とは違うんじゃないかと思い始めたんです。いや、思ったというより、今はもう確信しとるんですけど、それを一つ、誰かに伝えとかないかんと思うて。
昭和50年代に入った頃だったか、私はその頃、県内の山に時々猟に行っていたんですが、ある時、塩江に「ヤマドリ」の猟に行って、地元のじいさんに「このあたりにヤマドリはおるか?」いうて聞いたんです。そしたら、そのじいさんが「しっぽこか?」言うてきたんです。
ヤマドリはご存じですか? ネットで探したらすぐに写真が出てきますけど、キジみたいな鳥でしっぽが1mもあろうかいうぐらい長いやつ。それを、そのじいさんが「しっぽこ」言いよったんです。「どじょっこ」とか「ふなっこ」とか、昔はああいうもんに「こ」をつけて呼んだりしよったんですけど、たぶんあれと一緒で、しっぽが長い鳥やから「しっぽこ」言いよったんじゃないかと思うんですけど。それで、その時は「ここら辺ではヤマドリのことを“しっぽこ”言うんやなあ」ぐらいに思っただけで、そのまま猟に行って帰ったんです。
「しっぽくうどんにヤマドリを使う」という説明を発見!
それからずいぶん経ったある時、農協に用事があって待合で待っちょったら、そこに讃岐の郷土料理がいろいろ書かれた本があったんで、それを取ってパラパラめくりよったんです。そしたら、本の中に「しっぽくそば」いうのがあって、そこに「ダシはヤマドリでとる。ヤマドリが手に入らない時はヤマウサギを使う」いうて書いとったんです。
それを見た瞬間、私の中でしっぽくうどんの「しっぽく」と、以前塩江でじいさんから聞いたヤマドリの「しっぽこ」がつながりましてな。しかも、その本の「しっぽくそば」の説明を書いたのが塩江町の方だったもんですから、「これは!」と思いました。
「しっぽく」いうのはたいてい、長崎発祥の「卓袱(しっぽく)料理」が元になっとると書かれたり言われたりしとりますわな。けど、卓袱料理の写真を見たらたいてい大皿にあれやこれやと料理がいっぱい乗っとって、まあ「しっぽくうどん」も具がようけ乗っとるから通じるところはあるんかもしれんけど、私にはどうも、あの豪華な「卓袱料理」と、どっちかというと素朴な感じのする香川の「しっぽくうどん」がしっくりと馴染まなくて。そういう時に、ヤマドリの「しっぽこ」と塩江の方が書いとったヤマドリでダシをとる「しっぽくうどん」の話が出てきたもんやから「これはつながっとるんではないか」と思ったんです。
塩江はどっちかというと「うどん」より「そば」文化の土地やから、その本には「しっぽくそば」が紹介されとったんだと思いますけど、塩江に「もみじ屋」いう古くからやっとる店があったでしょ? あそこはもう閉めたけど、閉める前までずっと「しっぽくうどん」が人気やった。「しっぽくそば」も季節で出しよったと思うけど、やっぱり塩江は「しっぽく」の本場で、「しっぽくうどん」も塩江の「しっぽこ」でダシをとったうどんが発祥じゃないかと思ったんです。
「しっぽく塩江発祥説」を残してもらえれば…
それから私もインターネットするようになって、いろいろ調べてみよったんです。そしたら、どこかで「香川のしっぽくうどんの分布図」みたいなのを作っとるのを見たんやけど、やっぱり最初の頃は塩江あたりが中心になっとって、もうちょっと年が下ったもう1枚の分布図には香川町から高松あたりまで広がってきとりました。
それを見て「やっぱり香川のしっぽくは塩江から広がったんか」と思ったんやけど、その分布図が今、何ぼ探しても出てこんのです。確かに見たんやけどな。それと、あの農協で見た『讃岐の郷土料理』の本も、図書館でだいぶ探したんやけど、どこにも置いてないんです。それで、私ももう歳やし、とりあえず讃岐うどんの情報発信の第一人者の田尾さんにだけでも「こういうことがあった」ということを伝えとこうと思いましてな。何かの折に調べるなり伝えるなりしてくれたらありがたいと思うとります。
●編集部より…非常に興味深いお話をいただきました。確かに、長崎発の「しっぽく(卓袱)」が香川のしっぽくうどんの原型だというのは少々違和感が無きにしも非ずで、「ヤマドリのしっぽこ説」は捨てがたい話です。何にしろ“発祥もの”というのはなかなかファクトベースで確定できるものではありませんが、このお話はぜひ記憶と記録に残しておきたいと思います。