「しっぽくうどん」と「どじょううどん」が毎日の主食だった
物心がついた時(昭和20年頃)から、白いご飯の代わりにいつもうどんを食べていました。時には朝・昼・晩と1日に3食もうどんだったから、うどんには飽き飽きしていましたね。
家が農家で、具に入れる野菜や鶏を自前でまかなえたこともあり、うどんはしっぽくにして食べることが多かったです。麺も収穫した小麦粉を製粉所で小麦に換えてもらい、家で作っていました。生地の足踏みを手伝わされた思い出もあります。
近くの川でどじょうがたくさん獲れたため、どじょううどんも食卓によく並びました。ダシに入れて炊いただけのどじょうが、うどんの上に丸々一匹のったものです。これは飽き飽きを通り越して大嫌いでした(笑)。今思い返しても気持ち悪さが込み上げてきます。
小麦とパンを交換することができた
当時、自宅の周りにうどん屋はなかったと記憶していますが、あっても絶対に行きたくはなかったですね。とにかく他のものを食べたかったですから。
余談ですが、中学生の頃(昭和27年頃)、かなり離れた場所にパン屋がオープンし、兄と自転車に二人乗りをして行ったことがあります。お店で何かを食べたのはそれが初めてだったと思いますが、その時の感動は今も決して忘れられません。
パンは、家から持って行った小麦と交換してもらいました。お金で買うのではなく、当時はまだまだ物々交換が多かったですね。