終戦後、志度寺の境内で口にした初めての一杯
生まれたのは九州です。父の仕事の都合で戦争が終わるまでオーストラリアやハワイ、旧満州などの日本人居留区を転々としていました。当時、海外にいる日本人の間でも讃岐うどんは有名でした。讃岐うどんではありませんが、うどんを食べる機会も現地で何度かあり、店ではもちろん、東北出身の方に作っていただきご馳走になったこともあります。
戦争が終わって抑留生活を送った後、満州で知り合った夫が香川出身だったこともあり、昭和22年に志度へ来ました。
讃岐うどんを口にしたのは、それからほどなくしてから。志度寺の境内に建ち並ぶ屋台で求めた一杯が初めての味です。ただのかけうどんでしたが、海外で食べたものとはまるで違う美味しさで感激しました。
境内に1、2軒あった屋台はうどんだけを販売し、昭和20年代前半まで営業を続けていたようです。