香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市北浜町・昭和16年生まれの女性の証言

仕事はパンづくり、趣味はうどんづくり。パン工場のまかない食はうどんだった!

(取材・文:

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  • vol: 49
  • 2015.07.13

仕事はパンづくり、趣味はうどんづくり。パン工場のまかない食はうどんだった!

うどんにまつわる昭和の記憶を後世に残したいと思っています。
主人が生きていたらね、おうどん大好きで毎日おうどん食べよったから。昔は勝賀中学の近くに「さかもと」という小さい製麺所があって、そこでよくうどん玉を買ってきて家族みんなで食べていた。主人は亡くなる前まで外でもうどんを食べてたし、ジャパン(スポーツジム)の帰りに製麺所へ寄って“出来だち”を買うてきて家でも食べてた。主人の父もうどんが大好きで、自分で打ってた。ドジョウを買ってきてね、打ち込みうどんを作ってた。
主人の父は戦前から三木町でパン屋をしていました。いつからうどんを打ち始めたかは知らんけど、パン屋だったから工場に粉も塩もあったから趣味で始めたんじゃないかしら。うどんが好きだけど仕事はパン屋だった。なんでかしらね。うちの主人もパン屋だったけど、うどんが大好きだった。でも主人は自分で打つことはなかったわね。
私たちが経営していたパン工場におじいちゃん(義父)が来てうどんを打ってくれよった。手作りのうどんを従業員みんなで昼に食べたりしていた。それは昭和40年代のことかしらね。おじいちゃん(義父)はうどんづくりが大好きで町長さんだったこともあり、地元の警察とかへ行って手打ちうどんをみんなに振る舞ったりすることもあった。

昭和20年代後半、北浜町周辺には小さな製麺所がたくさんあった

物心ついてからうどんを食べていた記憶について聞かせてください。
私は昭和16年生まれで北浜町出身です。実家はタバコとかお菓子とかを扱う商店でした。近くに小さい製麺所があったから、そこでちょいちょいは出来だちを買って食べていました。製麺所の名前はちょっと覚えてないなぁ。小さい製麺所だった。戦後の昭和20年代、私が小学生の頃にはそういった小さい製麺所がたくさんあったんです。お使いで買いに行った時、麺を錬って、足で踏んでいたのを見た記憶があります。蒸籠に入れて玉売りしてる。その玉を買うて帰って食べる。値段は覚えていないねぇ。家で親がうどんを打つということはなかったです。商売をしていて忙しかったからだと思います。
買ってきたうどんをどのようにして食べていたんですか?
ダシをかけて、かけうどんみたいにして食べてたと思います。昔だからそんなに豪勢ではない。ネギは入れていました。それとお天ぷらをそぎ切りにして、のせるくらい。近くにカマボコ屋さんもあったけど、うどんにのせるのはお天ぷらでしたね。うどんを食べていたのは普段の日の食事です。

お使いの帰り道、茹でてない生うどんを1本、こっそりとつまみ食い

田舎では祭りや法事にうどんを食べていたようですが、商店のご実家では、どうでしたか?
そうやねぇ。うちの実家はなかったね。でもね、亡くなった主人は昭和14年生まれで三木町の田舎の生まれだったんですけど、その主人の小さいときのお話では、製麺所に小麦を持って行って、生のおうどんに代えてもらっていたそうです。従兄弟と一緒に買いに行って、帰りに一本そっと抜いて食べよった。それがおいしかった、という話を何回も聞きました。湯がいてないのを食べてもおいしかった、楽しみだったと。貧しい時だったんやろうね。だからおうどんは、昔はおご馳走だったんとちがいますか。お祭りとか市とか、そういうときでないと食べられない。普段は質素だったんじゃないかと思います。今から考えたら何で生うどんがおいしかったんかと思うけどねぇ。戦後間もない頃だったから。
小学校や中学校は給食でしたか? うどんが出ることは?
小学校の時は給食だったけど、うどんが出た記憶はないなぁ。パンやわ。それと脱脂粉乳のミルク。中学校はお弁当。高校は高松一高で学食はあった(昭和31〜32年頃)。うどんもあったと思うけど、私はあんまり食べた記憶がない。パンも売ってたけど、みんなほとんどお弁当を持って行ってたわね。

瓦町「南地食堂」、片原町「とらや」、兵庫町「ひらのや」他、食堂にうどんメニュー

北浜の実家の近所にうどん屋さんはありましたか?
子供の頃(昭和20年代)はまだなかったね。うどん専門の店ができ始めたのはもっと後だったんと違うかな。高校の頃は、瓦町に「南地食堂」というカレーうどんが有名な店があって、そこへちょいちょい行きよった気がします。高校の帰りに食べた記憶があります。カレーうどんがすごくおいしかった。食堂だから色々なメニューがあったと思うけど、いつもカレーうどんを食べていた。家族で外食はした記憶がないわねぇ。貧しかったからね。
高校出てからお勤めして23歳で結婚したけど、働いていた頃には、ライオン通りと片原町の角っこに「とらや」という大きい食堂があった。それと、「あずまや」もうどんがあったと思うけど。兵庫町には「ひらのや」という店があった。2階あがってパフェみたいなものを食べたりしよったなぁ。うどんはあったかなぁ。たぶんレストランだったからうどんもあったと思います。私、あんまりおうどんは好きじゃないの。どちらかというとパンの方が好きだったから。弟はうどんが好きだった。うどんの値段は覚えてないわねぇ。
働いていた頃、そう頻繁に外食することはなった時代でしょうか。
そうやねぇ。昔はあんまりなかったね。三越の食堂でホットケーキを食べるのが楽しみでした。三越の食堂にもうどんのセットがあったと思います。三越は物心ついた頃からありましたね。そういえば三越の横、南側に「田村食堂」って言うのだったかしら。大きな食堂がありました。行った記憶はあるけど何を食べたかまでは覚えていない。
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