香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

木田郡三木町・昭和12年生まれの女性の証言

うどんはごちそう!

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 38
  • 2015.07.10

うどんはごちそう!

 私は三木町氷上の出です。当時小麦はどこの家でも作っとったから、自分とこの小麦を一斗缶に入れて、ガタガタ道を三角乗りして、水車屋に持って行ってました。粉屋は部落一つか二つに1カ所、必ずあったな。

 小麦は製麺所に持って行くと麺にしてくれるし、家でも打ってた。うちは打つのが母の役目、踏むのが子どもの役目。何かごとには必ずうどん。うどんはある意味ごちそうやったね。打ったら近所におすそ分けして、持って行くのも私ら子どもの役目。昔は何でも近所に分けよった。ああいうご近所づきあいはやっぱり大切やと思うけどねえ。

 両親は打つの上手やったよ。今の実演する店がやってるような、あの通りに作ってた。「みみ」いうて生地の両端は二つしかないから、兄弟で奪うてねえ。おうどんは冷たい井戸水で締めて。今みたいに衛生や言わん頃やから、井戸水はちょっと金気やったかもしれんけど、全然気にならんかった。

 おうどんは「家で打って食べるもの」やから、今だにおうどん屋さんでうどんを食べるんは抵抗があるなあ。特にセルフの店や、落ち着かんでいかん。

生活の知恵が息づく薬味

 父は「ぬくめゆかき」の時に、家で作ってる春菊をひとつかみ入れよった。一緒にぬくめたら、さっと熱が通るやろ。子どもらは「要らん、要らん」いうて父の鉢に移してたけど、あれも知恵やね。

 薬味はネギかショウガ、ミョウガ。思えばだいたい家で作ってるもので事足りてたな。あと、おミカン食べた後で皮を父に渡すと、父がそれを乾かして、竹筒の底にゴマやトウガラシと一緒に詰めて、ノミで突いて七味みたいなの作ってた。

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