香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市弦打町・昭和14年生まれの女性の証言

はりやの店主は、源内郷東店の店長さんでした

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 33
  • 2015.07.10

はりやの店主は、源内郷東店の店長さんでした

私の生まれは徳島県池の谷ですが、香川と同じで、家にお客さんが来る時は、父親が朝からうどんを打って、客にふるまっていました。それに、何か食べに行こうという時は、たいていうどん屋に行くことが多かったです。

高校を卒業して、高松に来たのが昭和31~32年頃だったと思います。こちらのうどん文化を知って、香川県も徳島県も同じことをしているんだなぁと思いました。

美容学校を出て、産業道路にある「かまど」の道を挟んだ向かい側の美容院が仕事場になりました。産業道路がまだ造られている途中でした。今の産業道路の一本西側の道にうどん屋がありました。店名は忘れましたが、仕事場から歩いて行ける距離で、そこでかけうどんをよく食べました。

ざるうどんもありました。天ぷらもありましたね。いりこ出汁でした。店の人がうどんを打っている姿を見ることができ、父が家で打っていたので気になって、それをのぞき込んで見ていました。父が家でしていたのと同じような動作でうどんを打っていました。「ここでも同じようにしてうどんを打つんだな」と思ったことを覚えています。

そうこうしていると産業道路沿いに「源内うどん」ができました。元気のいい店長さんで、うどんもおいしいと評判になりました。その店長さんが独立して、できた店が「はりや」さんです。

他に記憶があるのは、香西の商店街にもうどん屋さんがありましたよ。そこへは自転車で食べに行っていました。

※「肉をミンチにする機械でうどんを作っていたか?」と聞いたところ、その機械は「みそ繰り器」だと教えてくださいました。かつてみそは家庭で作るもので、茹でた大豆を細かくするために家庭にあった機械だそうです。

  • TAGS: 
  • 関連URL: 

ページTOPへ