香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

綾歌郡綾川町滝宮・昭和24年生まれの男性の証言

安藤うどんは2本多い(笑)

(取材・文:

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  • vol: 278
  • 2018.08.23
 小学校の校長時代に子供が自分だけで弁当を作る「弁当の日」を考案、実施するなど長年香川県の教育現場で活躍され、現在は全国で「食育」に関する講演活動をされている竹下和男先生に、「昭和のうどん」についてお話をお伺いしました。

郷土料理は「食育」そのものです

 僕の息子は今、東京にいるんですけど、帰ってきたら一緒にうどんの「はしご」をします。うどんに餌付けされてるから(笑)。「帰ってうどんを食べたい」という思いが、家族の絆にもつながっているんですね。

 ちなみに、私は講演で日本中に行くのですが、うどんは全国にかなり広がっていて、行くところ行くところ、とてもおいしいんです。ただ、唯一の例外は「伊勢うどん」。あれだけは私にはダメでした(笑)。麺がヌルヌルで太くって、いわゆる「麺の楽しさ」がほとんどないんです。いや、決して「伊勢うどん」を否定しているわけではありませんよ。私たちは子供の頃から、麺に対して“のどごしや“もちもち感”といったものが記憶され、感覚として染み付いています。それに伊勢うどんが「合わない」というだけで、伊勢うどんを食べ慣れた人は、讃岐のうどんが合わないかもしれないですしね。向こうの人が讃岐うどんを食べて「こんな硬いうどん、飲み込めない」と言っているのを聞いたこともありますし(笑)。結局それは「文化」ということなんでしょうね。

 厳密に言うと、200年ぐらい前までは全国に流通網などないから、「地元の食材」でないとほとんど料理は作れなかった。もちろん、海外からも輸入できないし、冷凍技術もないから保存もあまり効かない。だから、地元の旬の食材を使うことで、栄養を摂取していたんですね。すると、山の尾根を一つ越えても食文化が違ってくるわけです。空気や水、気温や湿度といった気候や風土でその土地に生育するものも変わるから、それぞれの土地でそれぞれの食文化が生まれ、それが「郷土料理」に発展するんです。

 自分たちが育った環境の中にある食材を食べることは、消化器系にも負担をかけない。それが基本なんです。ですから、それぞれの郷土料理を広い範囲に広げる必要はないと僕は考えます。だけど、「負担をかけなければいいのか?」っていうと、人間は新しいものも食べたい。中華も洋食も食べてみたい。その時に大切なのは、どんな料理でもそのベースに「郷土」を入れておくことです。そうしないと、特に子供はダメになります。郷土料理のベースは「母親、父親、家族の料理」だからです。その点で、「うどん文化」は心の基地、よりどころ、親子の絆のベースなのかもしれないですね。

昔の学校給食はコッペパン

先生が子供の頃は、学校給食にうどんが出されることはありましたか?
 僕の頃はなかったんじゃないかな。コッペパンだったよね。今は給食にもうどんが出されるそうだけど、学校のうどんももう少し考えてあげてほしいね。うねうねと固まってしまったものではなく、流れるような麺のうどんにしてあげたいよね。

 そういえば昔、給食がない日で教員が出勤日の時に、調理師さんが「たらいうどん」を作って振舞ってくれたことがあったね。いろんなことが今よりずいぶん緩かった時代だったからね。今は何もかもが厳しくなって、そんなことはやっちゃダメなんだろうけど。

「田井のたもっちゃん」のうどん

子供の頃のうどんの思い出を伺えますか?
 僕が子供の頃は、家の近所には「うどんを食べさせてくれるうどん屋さん」はほとんどなくて、うどん玉を製造販売する製麺所があったぐらいだね。当時私がうどん玉をよく買いに行った店は「田井」さん。「田井のたもっちゃん(お店のご主人の田井保さん)」は僕より5~6歳上で、野球をしてる人には「憧れのたもっちゃん」やってね。尽誠高校のキャッチャーで新聞にも載っていましたね。

 子供の私がうどんを買いに行ったら、たもっちゃんがゴザの中にうどんのタネを入れて踏んでいました。あの頃(昭和35年頃)の「ひと玉」はいくらぐらいだったか聞いてみたら、「たぶん8円だったと思うよ。でも、8円では計算しにくいということで、ある時から10円に値上げした。その値上げした頃が、あんたがよう来てくれよった頃やで」とのことです。私はそのうどん玉を買って帰ってね、そこに天ぷらや、えび天をのせてよく食べていましたね。

 田井のうどんは最後、「山越」から仕入れたうどん玉を売ってましたね。横町あたりの人は、「山越まで行かなくても山越のうどんが買える」と言って、みんな「田井」さんに「山越」のうどんを買いに行っていましたよ(笑)。

安藤うどんは2本多い?

 あと、30年くらい前の話なんですけど、たもっちゃんと立ち話した時に、「安藤うどん」の話になったんです。安藤さんは昔、滝宮で店を出していて、「ぴっぴうどん」だったかな? それが今は羽床に移って「安藤うどん」になったんですけど、たもっちゃんが「安藤は、うどんが2本多い」って言ったの(笑)。その表現が、僕はとても印象的で面白く感じたんです。「そうか! うどんを『ふた筋多い』という感覚で見ているのか」と思って、僕もそれ以来、意識をしながら食べるようになりましたね。「あ、ここのうどんは<小>で頼んだけど<極小>や。うどんが3本少ない」みたいにね(笑)。

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