豊浜の海運会社が乾麺を作り始めた?!
- マルキンさんは古くから豊浜で製麺業をされていますが、昔の豊浜はどんな町だったんですか?
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豊浜町は農地改革(昭和21年)があるまでは大きな地主が結構おってな。地主がおって、小作がおって。地主は蔵を持って金も持っとるから小さい財閥みたいなもんで、「観音寺の人にカネ貸した」とかそういう話を結構聞いたことがあったから金融業みたいなのをやっとる人もようけおったらしい。金融機関がそんな発達してなかった時代やからな。けど、地域としてはこれという職場もないところで、まあ大工や左官かなんかはちょっとくらいあったろうけど。
そういう中で、船乗りが結構多かったみたいやな。浜というか、水軍というか、その流れがなんぼかあるんだろうと思うんやけど、南極まで行く捕鯨船に乗っりょる船乗りが多かったんよ。それで、そういう人らが冬場は南極の氷が溶けとるけん南極行って鯨をとってくる。こっちが寒くなる頃にはあっちが寒さが和らぐから。そういう人らが鯨のシーズンが終わったらこっちに帰ってきて、こっちで季節労働みたいに地元の労働力になっとったという、そういうふうな船乗りが多かったわな。
- 昔の観音寺の製麺業者さんを調べていたら、乾麺の製造業者さんがすごく多いのにびっくりしました。それも、うどんでなくて素麺の業者さんが多かったみたいなんですけど。
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確かに素麺とか冷や麦を作る乾麺の業者は多かったな。けど、それは観音寺というより豊浜町やね。豊浜町の姫浜、和田浜近辺。昔の豊浜は町内で100戸ないくらいの中にちゃんと構えた素麺屋が5軒くらいあった。小さいところを含めたら、10軒以上あったと思う。旧観音寺市内なら老舗は「紀州屋」さんくらいだったから、当時は乾麺は豊浜の地場産業みたいなもんだった。
豊浜の乾麺屋で一番古いのは「高原通商店」さんかな。11号線沿いにある「合田照一商店」さんも古いな。うちは明治の中頃、おじいの代に「萬城屋(ばんじょうや)」を始めたと聞いた。素麺も作っとったけど、うちはうどんの乾麺の方が多かったな。夏場やったら冷麦。昔は関東へは冷麦が一番売れよったし、船で尾道、広島あたりから小倉の八幡製鉄にもうどんの乾麺を売りに行っきょった。
- 当時、なぜ豊浜に素麺や乾麺屋さんが多かったんでしょうか。
- まあ、いろんなもんが向いていて地場産業になったんだろうけど、港があったいうのもあるだろうな。私が小学校の時に国道11号線ができたんだけど(昭和27年に国道指定)、それまでのこのあたりの主な輸送手段は、豊浜港からの機帆船だったんよ。観音寺にも観音寺港があったけど、早くから開けていたのは豊浜の港だった。それで、港に海運会社がなんぼかあって、そこが乾麺を作り始めてな。
- 海運会社が素麺を?!
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そうそう。北前船まではいかんけど船を持って、あちこちに行って商売をやっとる海運業者が多かった。そこが、素麺や乾麺を自分とこで作って、豊浜港から広島、北九州、大阪まで直行で出荷しとったんよ。国道沿いの「合田照一商店」さんとこも、金栄丸っていう船を持ってる廻船業者さんが素麺を始めたとこだしね。
あとは、四国内では徳島の池田から祖谷の方とか貞光とか、あの辺も昔は乾麺がよう売れよった。「山持ち」の億万長者がようけおったけんな。私も素麺積んだトラックで祖谷の奥まで、雪が降っとる中を「大丈夫かいの」って言いながら持って行きよったわ。今はあっちの方はどんどん人口が減ってきたから売れんようになってしもたけどな。
それと、この辺から西讃一帯は小麦の生産地だったし、雨が少ないし海風のある港だから、天日干しで素麺を乾燥させるのに向いていたというものあるだろうな。それで、県外への物流に有利な港があったとか、そういうのがうまく合わさって素麺どころになったんだろうね。豊浜は同じ「セイメン」でも綿の「製綿」の方が有名で、「綿神社」もあるくらいの綿の町だったけど、今は綿の方は衰退してしもうて、「製麺」の方がまだ残っとるな。
「映画を観て、帰りに食堂でうどん」という時代
- 豊浜のあたりは、うどん屋さんは多かったですか?
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今みたいな外食のうどん専門の店はなかったな。父ちゃん母ちゃんがしよるようなうどん玉を作る製麺屋と、中華そばを卸す業者がなんぼかあって、食堂みたいな店がそこから玉を仕入れてうどんや中華そばを出しよったぐらいやな。
中華そばはうどんダシにラードをちょっと入れて、カマボコ入れる。それにモヤシでも入っとったら上出来や。鳥取あたりにうどんダシでラーメンを食べる文化があるでしょ。「これがうまいんじゃ」言うて(笑)。そらまあ、さっぱりしとるけど、まあそんな感覚じゃわな。
- 食堂のうどんはどんな人が食べに来てたんですか?
- まあいろんな人が来よっただろうけど、「映画を観て、帰りに食堂でうどん」という時代だったな。豊浜でも映画館が3軒ぐらいあったからの。3本立てでなんぼとかいう安い映画をしよったけど(笑)。映画館ができる前はドサ回りの芝居小屋だったけど、その頃も「芝居を見て帰りにうどん」いうのはあったと思う。
麺は柔らかい方がコシが出てうまい
- 昔の「家で食べるうどん」はどういう感じでしたか? 例えば法事のうどんとか。
- んー、法事の時にうどんを食べるというのはあんまり印象がないのう。私は乾麺屋やから、商品のテストを兼ねて仕事場でよう食べよったけどな(笑)。肉体労働しよったら腹減るから、一日一食くらいはうどんを食ってた。あと、半夏の時にはうどんを食べるっていう慣習があったわな。
- 昔は「20玉食べたらうどん好き」って言われてたらしいですね。
- せいろ一枚か?! それはよっぽど好きな人じゃわ(笑)。
- 昔のうどんは軽かったんでしょうかね。
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昔の手作りの製麺屋のうどんは、手で混ぜるから生地に空気が入っとる。うどんの「浮きがええ」というか、お湯の中にバンと入れて浮き上がってくるのは、空気がようけ入っとるということ。今の冷凍うどんや言うたら、ミキシングするのに真空で空気を抜くわけですよ。すると、めいっぱい空気を抜いてローラー通して製麺したうどんは、茹でたら沈むんですよ。だから、普通の鍋で茹でたら底にひっつく。だいぶ時間たって麺に水が入ってきたら浮くけど。
例えば、九州ラーメンなんかはパッと浮いてサッと出せる。逆に、サッポロラーメンの麺は沈む。まあ、それはそれで「出前してでも伸びにくい」という利点はあるけどな。だいたい、沈む麺は押し並べて固いうどんとかラーメンになるんですよ。
- 県外には固い麺を「コシがある」という人が多いですよね。
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うちの会社に入社してきた社員に試食会で固い麺と柔らかい麺を食べさせて「どっちがおいしい?」言うたら、地元以外の人はたいてい「固いのがうまい」言うんや。地元でも若い人はそう言う人がおるんやけど、2年もしたら柔らかい方を「こっちがええ」言うて好きになる。
特に関東の人は、それがあんまりわからんのや。こないだも関東の人が営業に来たので両方食べてもらって聞いたら、固い方を「こっちがええ」って。「じゃお前、家持って帰ってやってみい」言うて嫁と子供に食べさせてもらったら、「柔らかい方がおいしいよ」と言われたらしい。「やっと言いよることがわかった」と言われたけど、それもかれこれ2年以上かかったかな(笑)。
- 「コシと固さは違う」という話は、あちこちで噴出してますね(笑)。
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例えば、鍋物をしてうどんを最後に入れるでしょ。入れてウェーブがかかってたのが真っ直ぐになったらすぐ食べる人がおるけど、「ちょっと待て」言うて。それではいかん。もう少ししたら柔らかくなって、角が出てきてコシが出る。コシというのは水分勾配やから、そのタイミングで食べた方がうまいんや。
まあ、香川県の人は毎日くらい食べよるけん、わかるわな。たまに食べるんなら固いのでもおいしいと思うことがあるかもしれんけど、毎日になるとちょっと柔らかめの方が馴染むやろ。のどごしとか、歯触り、舌触りがな。よう食べる人は、三べんすすったらもう食べ終わってる(笑)。昔も今も、これが本場の食べ方や。