うどんは手軽な食べ物じゃなかった
子どものころからうどんは食べてたけど、外食したいう覚えはないなあ。せいろでうどん玉買うてきて、ぬくめて食べたり、たまにかつお節としょうゆかけて食べたりしよった。今とおんなじような食べ方やけど、今とはうどんの舌触りが違うような気がするわ。昔の方がつるっとしとった。今のは硬い言うか、弾力があるような気がするわ。里では大概、女中さんとかがうどん玉をせいろで買うてきよった。せいろやけん、25玉くらい入っとったやろうか。昔の方が、今より玉が大きかったけど。今みたいに何玉かだけ買うて帰るみたいなことはなかった。祭りとかお客さんが来るときとかじゃないとうどんは食べんかった。うどんは手軽な食べ物じゃなかったわ。
女の人でも5玉は食べていた
終戦後の昭和21年4月に木炭車でな、国分寺町にお嫁に来た。その頃は女の人でもうどんをいっぺんに5玉は食べよったわ。やから、そんなにお汁をザバザバとはかけよらんかったはずじゃ。玉だけを食べよったわけやな。
うどんをだんだんお金で買うようになった
国分寺町に来たころは小麦を作っていて、作った小麦を農協に出して、残りは小林のうどん屋(「まんどぐるま」のこと。現在営業休止中)に預けよった。台帳に書いて。それでうどん玉もらう。小麦の残りが少なくなってきたら、「あんたんとこ、もうなくなるで」と向こうが言いよった。でもだんだんここらで小麦を作らんようになって、うどんをお金で買うようになった。何でか言うたら、小麦はとれるのが遅いから、梅雨にひっかかるんや。そしたら、とるのが遅れるから。田植えは半夏生までにしないと、半作言うてお米がとれんから。それだから、小麦を作らんようになったんや。