香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市藤塚町・昭和20年生まれの女性の証言

祭りの日に祖母の家で、色粉の天ぷらと一緒にうどんを食べた

(取材・文:

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  • vol: 266
  • 2018.01.18

昭和20~30年代の田町商店街にうどん屋はなかった!?

 田町の商店街にほど近い場所に住んでいました。物心が付いた頃、商店街にはすでにアーケードが掛けられていましたが、うどん屋の記憶はありません。金物屋は何軒もありましたが…。以後、昭和30年代になっても外食の機会もほとんどなく、たまに出掛けても大概はラーメン屋。自宅でうどんを食べることもありませんでした。

 ただ、勅使(高松市)にいた祖母の家に行くと、うどんを振る舞ってくれました。もちろん、小麦粉から作った手打ちです。生地にゴザを被せて、祖母と一緒に足踏みをしたこともありました。人生初のうどんは祖母の家ですが、当時、街に住んでいた子ども達は、そういううどんとの出会いが多かったのではないでしょうか?

 うどんはしっぽくにして食べることが多く、お祭りの時にはばら寿司や天ぷらが加わりました。天ぷらの具はサツマイモやレンコンなどで、衣はピンク色や青色、黄色などの色粉で仕上げたものです。めでたい日だけ口にすることができる、一番のご馳走だったのだと思います。

●編集部より…高松の商店街の昔。トキワ街ではうどんを出す食堂の話がたくさん出てくるのに、隣接する田町商店街には「うどん屋の記憶がない」という方が出てきました。ライターの篠原氏が「田町の主」のような方に証言取材をしているそうなので、続報を待て(笑)。

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