香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

坂出市中央町・昭和26年生まれの男性の証言

坂出の商店街の中に4、5軒くらいうどん屋があった

(取材・文:

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  • vol: 259
  • 2017.12.25

おじいさんが小麦粉関係の仕事で坂出に引っ越してきた

 坂出生まれの坂出育ちで、成人してからは仕事で全国を回ってました。私の親の代は高松の庵治に住んでいて、私のお爺さんが日清の小麦粉に関する仕事をしてた関係で坂出に引っ越して来ました。

 お爺さんが仕事をしていた頃は、小麦粉を京阪神に運んでたんです。坂出の港は今も昔も小麦の港ですね。昔は旅客船が築港に着いてましたんで、すごく賑わってました。私達よりずっと前の話の時代は、あのあたりは遊郭があるにぎやかな場所だったと思いますね。

 子供の頃(昭和30年代)に坂出の自宅で食べていたうどんは、「兵郷」さんへうどん玉を買いに行って、せいろで持って帰ってました。小さい頃のうどんは、兵郷」さんちで買ってきて食べたのしか知りません。我々の親の世代には打ち込みうどんが普通だったらしいですけど、私は食べなかったですね。

 ダシはイリコでとってました。私とかはイリコダシに全く抵抗がないんですけどね、県外に行くとイリコダシはちょっと…というところが結構あるでしょ。でも我々讃岐人はイリコダシが当たり前なので(笑)。

 坂出の中心部には「兵郷」さんとか「日の出」さんとか「上原」さんとかがありました。「上原」さんは元々米屋さんなんですけどね。あと「彦江」さんと「塩飽屋」さんだったかな。そのあたりがこの辺にあった製麺所さんですね。

「一番」の太麺が美味しかった

 当時は商店街のあたりに小さいうどん屋さんがたくさんありました。割とうどん屋さんというのは映画館の近くにありましたね。映画見た後にうどんを食べて帰るとか、うどんを食べてから映画を見て帰るとか。そういう店が4~5軒くらいありました。うどん屋さんというか、食べ物屋さんがけっこう商店街にあったんですよね。うどん屋さんあり食堂あり、それが昭和40年代くらいからかな、だんだん減っていきました。

 我々が高校生くらいだったかと思うんですが、非常においしくて印象に残っているお店がありましたね。「一番」ていう手打ちのうどん屋さん。元々映画館があったところがパチンコ屋さんに変わったんですけど、そのすぐ近くにありました。太麺のうどんなんですけど、あれはおいしいと思いましたね。「かな泉」よりもうひとつ太い麺でした。すごい太いイメージだけ残ってますね。

 そこの看板メニューというのが「一番」といううどん。よくわかめとか入ってるかやくうどんがあるじゃないですか。それが「一番」という名前で、一番人気でしたね。お店はかなりご年配のご夫婦がされてました。私が高校卒業して帰ってきたら、もうお店はなかったですね。

●編集部より…坂出をはじめ、善通寺も観音寺も、「昔は賑やかだった」という話が次々に出てきますね。「郊外が発展して中心街が寂れていった」とよく言われますが、元々賑やかだったんだから、そのインフラをきちんと使えば郊外より先にもっと発展できたはずなんですが…何をしたのか、何もしなかったのか…残念ながらみんな“思い出”になっちゃいました。

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