お金がなくても小麦があれば生活できた時代
昔の三谷(高松市)には、うどん屋なんてなかったなぁ。でも、製麺所はあった。小麦を持って行ったら、うどん玉に換えてくれた。店には醤油が置いてあって、それを掛けて店で食べることもできとったよ。今の店のように天ぷらや薬味なんてなかったけど。
それと、八百屋のような、雑貨屋のような店もあって、そこでうどん玉を手に入れることも出来たで。そこも小麦を持って行ったら、うどん玉と換えてくれた。
うどんだけじゃなくて、パンやお菓子、酒やタバコなんかも、物々交換のように小麦と換えてくれた。一升の量に対して「○○掛け(割合)」ゆうて、持っていく小麦に対して決まった割合で。もちろん、お金で買うこともできたけど。でも、自分も含めて当時、三谷に住んでいた人間は農家ばかり。普段はお金を持っていなかったから、店とのやりとりは小麦や〝ツケ〟が多かった。
〝ツケ〟の管理は、テレビの時代劇に出てくるような大福帳でしとったなぁ(笑)。年末とか、お米を農協に納めてお金が入って来たときに、ツケを精算しとったよ。店が集めた小麦は、業者に引き取ってもらってお金にしたんやろね。そんな便利な店が、昔は地区地区であったなぁ。
●年代ははっきりわからないけど、たぶん昭和20~30年代のお話。高松市の郊外あたり(三谷町)でも、まだ「物々交換」のあった時代だったんですね。