香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

髙松市国分寺町・昭和9年生まれの男性の証言

うどんは家で作って食べていた

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 19
  • 2015.07.10

うどんは家で作って食べていた

(夫) 70年前(昭和20年ごろ)は、うどんは家で打って作りよった。うちは川の水を水車で回して、製粉するところから家でしよったんや。水車持っとって製粉しよるところは、水がいるけん、川の傍(はた)にしかなかった。小麦を粉にしたやつは、今やったら薄力粉とか中力粉とか言うけど、昔は全部「うどん粉」言いよった。

(妻) うどん粉を使(つこ)うて、うどんとか団子汁とかにして食べよった。今は団子汁やせんやろうけど、団子汁でも食べられるんはええ方やった。

(夫) 昭和22年とか23年とか、終戦後は法事とか祭りとかでないとうどんは食べられんかった。

(妻) 婚礼にはあんまりうどん使わんかったの。祭りとかの時は、うどんやお寿司や揚げ物やを家で作りよった。いる人に順々とうどん鉢に入れての。

(夫) しまいが大変やった。皿がたくさんいるけんの。

(妻) 私が生まれたんは下笠居で、昭和31年には国分寺に来とったけど、物がない時代やけん、うどんしよる店は今みたいになかった。たいていどこでも家でうどん作りよったけん、自分く(自分の家)には麺棒が置いてあった。煮干し使って出汁とって。かけでもつけでも。

(夫) 味が家々で違うわけや。家に作ってあるネギとかショウガもあったら採ってきての。

みそ味のうどんも食べていた

(夫) 「打ち込みうどん」とかでも食べよった。煮干しで出汁とって、味噌味で。味噌もな、家で作ったやつや。大豆と米こうじで。「しっぽくうどん」とは違う。

(妻) おあげとかサトイモとかゴボウ、ニンジンとか入れて。

(夫) 野菜ばっかりやったの。

半夏にうどんを食べていた

(妻) 昔は「半夏半作」言うて、7月2日くらいまでに田植えやら芋のつるさしやらを済まさないかんかった。半夏を過ぎたら作物が半分しかできん言うて。今はなんもかんも機械がやりよるけど、昔は牛で田起こしして、みんなで田植えしよった。それで、田植え終わりの半夏に「半夏うどん」言うて、区切りでうどんを食べよった。家族で晩御飯にやな。ひとつの行事やった。

(夫) 田植え手伝ってくれた人を呼んで食べよったわ。

  • TAGS: 
  • 関連URL: 

ページTOPへ