うどん15円、中華そば30円
- 子供の頃(昭和30年代)のうどんの記憶を教えてください。
- 生まれは丸亀市の番町なんですけど、小学校3年生から城東町に引っ越しました。僕が子供の頃、割と食べてたのはね、城乾小学校の斜め向かいくらいにあった「多恵寿うどん」っていうちっこい店。うちのお袋はその時、城乾小学校で先生してたんです。土曜日とかの昼飯ね、学校の給食がなかった時にはうちのお袋に「そこのうどん屋で食うから」っつってね、食べてたんです。その時にうどんが15円ね。僕は中華そばが好きでしたけど。
- 中華そばはいくらくらいだったんですか?
- 30円。うどんの倍の値段だったけど、子供ながらに「すげえうまいな!」と思っててね。もちろんうどんもうまかったんですけど、その当時のうどんと今のうどんを比べると、今のうどんの方がすごくうまいんですよね。
昔の店はあまりきれいではなかった
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中学高校になってくると、通町ってところにあった「寿美屋」っていう店に行き始めたんだけど、あそこはお世辞にもきれいとは言えない店だったなあ(笑)。土の土間みたいなとこで、うどん頼むとばあさんが丼に指入れて持ってくるようなイメージ。
店はそんなに狭くなかったかもわかんないけど、結構ギチギチに椅子とテーブルを並べて、おばさんが「ごめんなさいごめんなさい」って通ってたのを覚えてる。でも、しょっちゅう行ってたから、たぶんうまかったんでしょうね。
- 丸亀の人に昔のうどんの話を聞くと、「寿美屋」はほんとによく話に出ますね。他にそんな感じのうどん屋さんはありましたか?
- 今、土器町東に移転して新しくなってる「渡辺」が、昔は労災病院の近くにあったんですよ。当時はうちから歩いて行ける何軒かのうどん屋のうちの一軒で、あの名物の天ぷら(衣を木の葉型に整えてあるエビ天)があるし気に入っていたんだけど、あそこもちょっと暗くて、あんまりきれいな店じゃなかったなあ。移転してきれいになった店に行ったら、制服もきれいにして、おばさんも化粧しちゃって(笑)。今はあそこ、ものすごく混んでるんですよね。
丸亀のイベントにはうどんコーナーが出る
- ご自宅ではうどんは打ってなかったんですか?
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そこらにうどん屋があってうどん玉買えるんで、打ってなかったですね。親戚でもうどん打つところはなかった。近所の友達んちとかで打ってるのも見たことないですね。基本的には店に行って食べていた。
でも、昔は各家庭にうどん玉がいつも常備されてたと思いますよ。うちも家にうどん玉はいつもあって、ダシは伊吹島のイリコで基本的に自分でとってましたね。ダシはすぐとれるし、うどんは玉で家にあるから、お客さんがちょっと来てもね、「まあちょっと一杯食べな」ってね。
- お茶とお菓子を兼ねてるようなポジションですね。
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でね、うどんというと運動会の時には必ずコーナー(角)のところにテントがあって、うどん出してたんですよ。味はたいしてうまくなかったかもしれないし、量もあんま多くなかったですけど。未だに何かの催しがあると、パーティなんかでもコーナーにうどんの屋台みたいなのが出ますよね。去年、丸亀で「藩校サミット」っていうんがあったでしょ。あの時に僕もちょっと手伝ったんですけど、ロビーで「ウエルカムうどん」をやりましたよ(笑)。
あと、法事はね、最近はないかもわかんないけど、午前中、結構長いんですよ。一部と二部に分かれてて、まずお坊さんが来るとお茶がわりにおうどんを出すんです。「まあ一杯」って。それで休憩時間にもお客さんなんかにうどんを出して。基本的にお茶代わりみたいに出してましたね。終わってからうどん出すことはなかったですけど。
連絡船うどんが縁で結婚した同級生が
- 他に思い出深いうどんってありますか?
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なんつっても「連絡船のうどん」ですね。岡山へ行く時と帰る時。連絡船うどんてそんなにうまいもんじゃなかったんだけど、やっぱりデッキで潮風に吹かれながら食べるといい。今でも駅の構内に「連絡船うどん」ていう名前のうどん屋がありますね。
ちなみに、僕の高校の同級生でね、連絡船のデッキのうどんが縁で結婚した人いますよ。
- 連絡船うどんでロマンスですか。
- 男の方が高校で一番くらいの秀才で、堅物だったから「あいつはなかなか結婚しないだろうな」と思ってたんだけど、割と早めに結婚したんで「どうしたんや」って聞いたら、「同級生のあいつと結婚したんや」って言われて。「ええっ! どうゆう縁や?」っていろいろ聞くとね、「いや実は連絡船のデッキでうどん食べてたらたまたま会って、いろいろ話してるうちに盛り上がって…」って、そこかららしいです。「え、お前がか」って(笑)。
- 讃岐うどんの歴史に残したいような“ええ話”ですね(笑)。
- で、行く時とか帰る時に「あれがあった、これがあった」みたいな話をしたり、うどんを媒介にしていろんな話が弾んでね。「そういや昔な」とか「あんたもそこでうどん食べよったんやな」とかね。
- 香川県民同士だと、うどんの話は鉄板で盛り上がりますからね。
本島の偏屈うどん屋
- 小学校の頃だったかな。丸亀沖の本島はね、船が停まるところのすぐ周りが海水浴場だったんです。船が着いた横でもう泳いでるような。そんな深くない砂浜があって浅瀬があって…という感じの場所だったんだけど、その船着き場に、ちっこい偏屈うどん屋があったんですよ。
- 偏屈ですか(笑)。
- でね、文句言うとおっさんが「お前もう食べんでええ!」言うて丼を取り上げて、海にこう、うどんを捨てるんです。そこ、泳いでるんですよ、人が。でね、それが面白いんでわざとおっさんに文句言うて、友達と「放るぞ、放るぞ」って言って面白がってました(笑)。
- 今だったら環境団体とかに怒られる話ですね(笑)。
- 昔だから、うどんを海に捨てたから苦情がどうのこうのいうのはなかったけどね。それがまあ、本人も割とウケると思っているのか、何かお約束風のところもあってね(笑)。うどん屋って言ってもテントか小屋かってくらいの、そういう感じだったと思うんですけど、結構面白い名物うどん屋だったなあ。