「今日うどんにしよか」で家で打つ
私は綾南町陶の生まれでね、昔はみんな、うどんは家で踏んで作ってた。ござで包んで踏んで、子供もお手伝いで踏むんよ。昔はどこの家にもおくどさんがあったから、大きな釜が二つあって、うどん湯がいてたんね。
特にいつ言うんでなくて、普通に「今日うどんにしよか」みたいな感じで打って、つけうどん。つけで食べるんが普通やった。ダシはイリコとカツオ。昆布はなかったな。家の隣がイリコ屋さんで、それと近所でお揚げ炊いて売ってた。うどん用のお揚げの店があったんよ。それで酢飯入れてきつねずしにしたりね。
昔の人はダシを上手にとってたねぇ。ちょっと濃いめにとって、味付けは醤油だけで、ダシの味で食べる感じ。今やったら醤油もそれこそいろいろ、迷うくらい売っとるけど、昔は醤油やって一つか二つ(一種類か二種類)くらいしか売ってなかったわな。
家にダシとる用の木綿の袋があって、木綿のサラシの手ぬぐいを縫うて袋にしたやつ。年取った人は、みんな普通にうどんが打ててたん違うかな。昔から使ってたような打ち板が、どこの家にもあったからね。うちの納屋にもまだ麺棒と打ち板があるはずよ。
お祭りの時は、うどんに天ぷらがついたわ。春はタケノコで、タケノコ炊いたん天ぷらにしてね、多めに炊いといて。秋はサツマイモ、あとはニンジンとか野菜。エビはめったになかったわ。エビ天が出たら、そらもうごちそうよ。
お祭りのごちそうはうどんと天ぷら
滝宮にお嫁にきたのは昭和37年かな。うどん屋は、その頃には滝宮天満宮の前に「しみず」さんがあった。滝宮神社の前には「くろば」さんがあったけど、どっちももう無くなったわ。このへんはこんぴら街道沿いで宿場町だったけん、うどん屋さんも多かった。
50年くらい前には料理屋と宿屋とうどん屋が並んでて、まだ宿屋が残ってたよ。滝宮神社の前にも料理屋兼宿屋があったな。それで、そういう店にうどん卸すんで田井製麺所いうんがあったけど無くなって、ちょっと前まで琴平から宮武さんがうどんの配達に来よったわ。宮武さんも有名になって忙しなったんか、来んようになったけどな。
神社でも、お祭りの時はお当番さんがうどん打ってたよ。お客さんには、うどんと天ぷら。お祭りの時は、お嫁に行った人が帰ってくるけん、おみやげにもうどん持たせて。
春のお祭りは押し抜き、秋はちらし寿司、それと天ぷらとうどん。あとはアジとかの魚のさんばい(三杯酢の酢の物)かフナのてっぱい。そこの綾川でもコイとかフナとか獲れてたからね。コイはあんまり食べんけど、フナは食べよったな。そんなんをお祭りの後の直会(なおらい)に出しよった。
粉は買いよったよ。農協でも、うどん用の粉を売ってたし。水車で粉挽きよったんは戦前までかな。水車は、そこの綾川に上、下とあったらしいけど、お嫁に来た時はもうなかった。龍燈院専用の水車はあったと聞いてるけどね。
昔の人は、ほんまにうどん打つんがうまかったね。うちの父も上手やった。ここの家のおばあちゃんも上手でね、うどん生地のばした端っこの、耳のとこがおいしかった。ちょっと太めでやらかくて、みんなそこ選って取りよったわ。今やったら、気温何℃の時は塩何%とかって科学的にするやん。昔の人はそんなんないけん「今日はこんな天気やけん、これぐらいかのう」いうて勘でしよったんやろね。ほんまに上手かったわ。