香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市鬼無町・昭和16年生まれの女性の証言

祭りの時は親戚中が集まって、うどんと寿司と揚げ物を作っていた

(取材・文:

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  • vol: 15
  • 2015.07.09

祭りの時は親戚中が集まって、うどんと寿司と揚げ物を作っていた

私が小学校に入った頃(昭和23年~)は、お祭りとか法事があったら家でうどん作りよったわ。祭りでも法事でも人がようけ寄ってくるやろ。祭りの時? 祭りは例えばこっちの神社でお祭りがあるいうたら、親戚やら何やらに案内するんやがな。そしたら祭りの日に、親戚があちこちからうちの家に集まってくるんや。ほんで向こうで祭りがあるいうたら、今度はこっちが向こうに行く。

そやって家にようけ集まったらうどんをようけ打たないかんやろ? みんなが食べる分だけでなしに、祭りが済んで帰る時に持って帰ってもらわないかんから、そらようけ作りよったわ。10人寄ったら100玉ぐらいいりよったん違うかな。けど10人やいうことないけんな。

うどん作るのは大体男の人や。うどん屋でするように足で踏んで、ようけ作って茹でて、上がったら水で洗いに行ってセイロに玉を乗せていくやろ。その乗せる時にみんなつまみ食いして、「セイロ1つは食べてしまいよった」いうて言いよったわ。

祭りにはうどんと一緒に寿司と揚げ物もようけ作りよった。揚げ物はおばあさんが家で揚げよったわ。色粉を入れて、赤いのや黄色いのや、青と緑もあったわ。お祭りやからにぎやかにせないかんから色を付けよったん違うかな。

法事は締めにうどんを食べていた

法事はこっちの方(鬼無町)は、朝からお勤めが済んで昼にご飯するで。ご飯食べたらみんな一杯飲むで。飲んだ後の締めにうどん食べよった。けど、丸亀の方の法事に行った時は、行ったらすぐにうどんが出たなあ。ほいで琴南に行った時は、真宗で三部経で長いから、お勤め一席上げたらうどんが出よったわ。地域で違うんかな。ああ、宗教で違うんな。全部済んで締めでうどん食べるいうのはあんまりないんな。それは知らんかったわ。

法事のうどんはつけうどんが多かったような気がするけど、うちは「つけかかけか、どっちがええな?」いうて聞きよったから、両方のダシを作っとったと思うで。

昔はそうめんをよく食べていた?!

祭りや法事でない時は、打ち込みうどんを作って食べよった。まあ、味噌汁にうどんが入っとるようなもんでの。

学校? 私が小学校や中学校の時は給食やなかったから、家が近い子は昼になったら家に帰って何か食べて来よった。遠い子は弁当持って来とった。私は近かったから家に帰りよったけど、うどんやなしに、そうめんをよう食べよったわ。そうな、円座の子もその頃そうめんをよう食べよった人がおったんな。そうめんは昔の方がよう食べよったん違うな?

外食は三越の近くで

店にうどんを食べに行くいうのは、ほとんどなかったわ。私が鬼無におったのは昭和40年までやけど、鬼無には駅前にうどん屋が一軒あったぐらいでの。店に食べに行った記憶いうたら、子供の頃(昭和20年代)に親と一緒に三越の前にあった「田村食堂」でうどん食べたのは覚えとる。ナルトみたいな渦巻きの薄いのとネギが入ったような、そなにいろんなものは乗ってないうどんや。

あとは三越の中の食堂に行くぐらいやった。鬼無は高松に近いいうたって、当時は車もないし、バスか汽車しかないから、子供の頃はあんまり高松(街中)に出て行くことはなかったわ。まあ、昔はそなに「うどん、うどん」言いよらんかったで。今みたいに言い出したんは、田尾さんがナニしてからやろ(笑)。

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