戦前の北朝鮮にうどんはなかった
- 昔のうどんにまつわることを、ご年配の方にいろいろとお訊ねしています。
- 僕の生まれは現在の北朝鮮の咸興(ハムフン)で、戦争が終わった年(1945年/昭和20年)に両親の里である豊浜へ引き上げました。当然、当時は貧しくて、その頃によく食べていたものといえばサツマイモを入れた麦ご飯と、おかずにしていたイリコです。うどんはあんまり食べませんでしたね。
- 当時の北朝鮮にうどんは?
- 5歳までしか住んでいなかったので記憶も曖昧ですが、うどんはまったくなかったですよ(笑)。豊浜に帰ってきて初めて、うどんという食べ物に出会いました。
半夏生のときだけ家でうどんを作った
- どんなときにうどんを食べていましたか?
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半夏生のときです。家に麺棒や麺を打つ大きな板があり、父親が生地を作っていました。もちろん、店で食べられるような整っている綺麗な麺ではありませんでしたが。不揃いながらも、生地の切れ端の平べったい部分を食べるのが子どもの頃は好きでした。
当時の豊浜では、どこのご家庭でも家でうどんを作っていたのではないでしょうか。ただ、父はうどん作りに自信や「家族に振る舞いたい」という気持ちがあったわけではなく、見よう見まねで仕方なしに作っていたようです。
「10円うどんの店」では鍋焼きうどんも出前していた
- 綺麗な(?)うどんに出会うのはいつ頃のことですか?
- 中学生か高校生の頃(1950年代後半)ですね。当時、豊浜や観音寺に一杯10円でうどんを食べさせてくれる店が何軒かできました。どれも食堂ではなくて、うどん屋です。学校帰りに何回か食べに行ったことがありますが、一杯10円のうどんは素うどんで、薬味にねぎとかまぼこが一枚のっていたかどうか、という具合でした。
- その店のメニューは、かけうどんだけでしたか?
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すべての店はわかりませんが、豊浜にあった10円うどんの店には、鍋焼きうどんがありました。僕が親戚の家へ遊びに行くと、よくうどんをご馳走になったのですが、そのうどんは店から注文していた鍋焼きうどんでした。当時の店は岡持ちで出前もしていたようです。もちろん、鍋焼きうどんは素うどんと比べものにならないほど美味しかったですよ。
ちなみに、通っていた小学校(昭和20年代前半)の給食でうどんが出たことはありません。中学校のときは弁当でしたからうどんに縁はなく、高校は観音寺商業(現:観音寺中央高校)でしたが、当時(昭和30年頃)は学食のメニューにうどんはありませんでした。