八百屋で麺を買うと、木の皮の包みに入れてくれた
- ご年配の方に昔のうどんについていろいろと訊ねています。
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小学生の頃(昭和30年頃)は今のように店で気軽にうどんを食べることはありませんでしたが、家では割と口にしていましたね。学校が休みの日、母が昼御飯によくうどんを作ってくれました。ネギとかまぼこだけが入ったかけうどんがほとんどでしたが、たまに長天や家で炊いたお揚げが加わり、その時はとても嬉しかったことを憶えています。
母がうどんを作る時は、近所の八百屋か、その八百屋の前にあった「橘」さんといううどん屋で麺を買っていました。私もその店へお遣いに行ったことがあります。
八百屋のうどんはせいろにきとんと並べられ、麺の上には埃がつかないように紙のような薄い木の皮が被せられていました。そして麺を注文すると、八百屋のご主人がせいろから麺を取り出して、木の皮の包みに入れてくれるのです。鳥坂まんじゅうを買ったら包装してくれるものとよく似た木の皮です。当時はビニールがありませんでしたから、店で売られている惣菜や和菓子などは木の皮で包装されていました。学校の卒業式の日にもらった紅白まんじゅうも、木の皮の包みに入っていましたね。
ただ、うどん玉だけを買う時は、自宅から丼や鍋、ざるなどを持参して、その中に直接入れてもらっていました。「橘」さんへ買いに行く時も同じです。
うどん店は、店で食べたことはないのでどんなメニューがあったのかはよく分かりませんが、10人もお客さんが入れば満席になる、老夫婦が切り盛りしていた地味な店でした。店内にはガラスの陳列ケースがあって、その中にカマボコや、意外にも薄皮まんじゅうが置かれていましたね。あと、お客さんのほとんどが日本酒を飲みながらうどんを食べていました。
親戚が集まったら打ち込みうどん、法事の時はつけうどん
- 普段の昼御飯ではなく、特別な時にうどんを食べることはありましたか?
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親戚が家にワイワイと大勢集まって、みんなで打ち込みうどんをよく食べました。麺は祖母や叔父が打ったものです。当時の台所は土間でしたが、板の間になっている上がり口に麺を打つ台を置き、土間に座って麺棒で作業をしていました。麺を打つ台も麺棒も長さ1メートルを超える大きなもので、自宅の向かいにあった建具屋さんであつらえたはずです。生地の足踏み作業は、子どもたちが手伝うこともありました。
法事でもうどんは食べましたね。自宅で作るお膳の中に、必ずうどんが入っていました。つけうどんでしたが、夏は丼に少し水が入った冷やしで。冬は丼に少しお湯が入った湯だめが並びました。お代わりを頼む人もいましたね。法事用のうどんは、店に注文してせいろで持って来てもらっていました。
- 初めて外でうどんを食べたのは?
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小学生の頃、トキワ街にあった「トキワ食堂」で食べたのが初めてです。当時、一年に何回か三越へ買い物に行くことがあったのですが、いつも食事に立ち寄るのはトキワ食堂でした。三越の大食堂では食べたことがありません。味ではなく、両親の懐事情がその理由でしょう(笑)。
余談ですが、トキワ食堂の入口には大村崑のようなロイド眼鏡を掛けた人形がありました。ゆっくりと回転する台の上に立っている、ちんどん屋風のカラクリ人形で、子どもが見上げるほど大きかったです。懐かしいですね。