飯山の庄屋で、田植え前や刈り入れ前にみんなを集めて大量のドジョウうどんを作っていた
- 初めてのうどん体験は?
- ボクが子どもの頃(昭和30年代)は、うどんを自宅で作ってた。毎年田植えの時期になると、去年穫れた麦を粉にしたのでうどんを大量に打ってた。母方の里が飯山の庄屋みたいなとこでな、米作ってもらう人たち呼んで振る舞ってたんよ。それも、春先というか初夏はドジョウうどん(打ち込みうどん)。田んぼのイデさらって獲れたドジョウを水に置いといてな、祭りやら選挙やらでもらった酒でヌメリ取って……そしたら、ドジョウが「キュッキュッ」って鳴くわけ。その情景は、よう覚えてるなぁ。で、田んぼの周りでサトイモやらできとんを合わせ取って、そんなんを具にして食べてた。あのへん(飯山あたり)は、うどんも蕎麦も「麺の太さは“箸の太さ”くらいが基本」言いよったなぁ。
- 取ったドジョウって、どれくらい置いとくんですか?
- いや、1日しかフカさなんだような記憶やけどなぁ……「さぁみんなに精付けてもろて、頑張ってもらわな!」って感じで、源内さんのウナギちゃうけど、ドジョウも蒲焼あるし、そういう想いがこもってたんちゃう? そこにサトイモやらナスやらコンニャク、豆腐なんかも入れて作った打ち込みうどん……そらうまかったで。
- 何人くらいが集まっていたんですか?
- 何十人もおったで。ウチの家には「五衛門風呂か!」いうくらい大きな釜がおくどさんにあったし、うどん鉢も何もかも揃ってて……たぶん、今でも飯山の実家行ったらあると思うなぁ。おそらく、あの頃の記憶でも50~100人分くらいはあったような気がするわ。
- いわゆる春の、と言うか“初夏の大宴会”ですか?
- そうそう。それをボクは端で見ながら、食いながら楽しみよった。一方ではな、蕎麦は蕎麦で稲刈り前に食ってたんよ。そん時には押し寿司もして、サワラやソラマメとかも入れてな……あ、キンシタマゴやシイタケも。「ごちそうやろ、さぁ頑張ろう!」って。
- サワラ? 秋なのに?
- 何言よんかいの、サワラは秋が旨いんで。確かに魚ヘンに春って書くけど、旨いんは断然秋のサワラ。常識やで。
- へぇ……不勉強で、すみません。
- ほんで、稲刈り終わったら麦植えるやん。蕎麦も植えたりするけど……まぁ、蕎麦を食べる時はたいていしっぽくやったなぁ。サトイモ、おあげ、ニンジン、ダイコン……これまた旨かった!
今はなき飯山の「木村」と、西の雄「川福」の昔話など
- ところで、昔々のうどん屋体験と言うと?
- 最初はなぁ、トキワ街に「丸福」いうのがあったやろ? 「ミカサ食堂」の隣やったか? あのへんが初体験かも知れん。でもホンマに記憶に残ってるのは、今はなき飯山の「木村」やなぁ。あそこ、元々は精米所だったんよ。そこで精米する時間を待つ間に、おっさんがうどん作ってくれよった……それが始まり。その頃かなぁ、あのへん(飯山あたり)では“おきゃく”をようしよってな……“お寄りさん”言うたりもしよったな。いわゆる、集会や。で、何かあると木村からセイロごと(25玉くらい)持ってきてもらいよった思い出はあるなぁ。あれこそセルフの元祖やと、私は今でも思てるけどなぁ。
食べ方やって、うどんのできたちに味の素と醤油、七味しかなかったし。で、あの頃は味の素さえない時もあったんよ。ネギ? ないない。ほな言うけどな、私は高級なうどんも食べよったんで。もう亡くなったけど、「川福」のオヤジ。琴平からスタートしたうどん屋で懇意にさせたもろてたんやけど、客がワンカサきてどうしようもない時、そのへんにあった丸いザルにうどん乗せて出したんやと。それが、ざるうどんの始まり。
- ホンマですか?
- ホンマ。川福は、その後「ざるうどん」と「うどんすき」の商標登録を取ったんや。それから後でかな泉が出てきて……でも、“うどんの庄”って名乗る以外になかったという……そういうこっちゃ。ま、ざるそばは江戸時代頃からでもあって、四角いのに乗ってたやろ? それと同じことを丸いのに乗せて出した、それだけなんやけど。
- 木村は閉店間際まで人気でしたが、その頃にも寄りました?
- うん。味は変わってなかったけど、麺が若干太くなってたかなぁ。ダシは初体験で、おいしかった。まさか、ヤカンからダシが出てくるとは思わんし(笑)。「ジャンボ高木」も、古くからお世話になった口やなぁ。……あとはなぁ、子どもの時に「かじってみて麺の芯を見てみぃよ」とは言われた。そこで、本当のコシがわかるからと。
- ゆで加減の話ですかね?
- さぁ……それとは別の話かもしれんけど、尽誠の前に“女うどん”ゆうてやってるうどん屋さん知らん? 細くて、ちぢれ麺で……「乃木将軍も食べた」って言うて、なんか、ちょっとした拍子に思い出すんよ(笑)。
- えーと、話が現代になっちゃったんで……では、このへんで。