法事は親戚一同、前夜から泊まりがけでうどんづくり
- ご出身はどちらですか?
- 生まれはまんのう町だけど、父親の仕事の関係ですぐに東京に出て、疎開で昭和19年にこっちへ帰ってきた。その時は小学5年生かな。戦争で東京におれんから、母親の実家のこっちに帰ってきて、11歳からじいちゃんとばぁちゃんに育てられた。
- 初めてうどんを食べたのはいつ頃か覚えていますか?
- おじいちゃんが自分で踏んで作っとったよ。おばぁちゃんも手伝って二人で作っとった。私はそれを横で見よった。東京ではうどんを食べた記憶がない。だって食べるものがなかったから。
- 普通の日にうどんを作っていたのですか? 法事のときは食べていましたか?
- どうだったかな。法事のときは前日から親戚の家に行って、みんなでうどん作りの手伝いをしよった。男の人は足で踏んで、女の人は茹でたり。法事の前日も食べるし、当日にも食べる。法事は今は1日やけど、昔は「宵法事」があったから。前夜にお寺さんが来てまいって、次の日も来る。法事の当日はバラ寿司もあったけど、宵法事はうどんだけだった。
うどんを打つのは男の人の仕事。自分でうどんを打つことはない
- こっち帰ってきて間もなく終戦、その頃は食糧不足の時代でしたね。
- 私は東京で貧しかったけど、こっちではおばぁちゃんが炊いた白いごはんを食べていたし、農家だったから食糧はあったと思いますよ。ひもじい思いはしてない。うどんは滅多に食べてないような気がする。しょっちゅう作ったりする人もおるらしいけど、私はあまり記憶がない。私自身はうどんを自分で打ったりしませんよ。じいちゃん、ばぁちゃんが全部してくれたから。
- 同世代の方もうどんを打ったりしないのですか?
- してないよ。自分でしよる人は、おるにはおるけど…。お手伝いくらいはやっていましたよ。でも、ほとんどおじいちゃん、おばぁちゃんがやっていたのを私は横で見てるだけ。
- おじいさん、おばあさんが亡くなられてから、うどんは誰が作っていたのですか?
- 注文するようになった。じいちゃん、ばぁちゃんが亡くなったのは昭和47~48年頃やね。いつまで打っとったかなぁ。私は婿をとって結婚したのが昭和30年。その時はまだ近所に製麺所はなかったと思うから、じいちゃん、ばぁあちゃんがうどんを打っていたと思う。主人はじいちゃん、ばぁちゃんに教えてもらってちょっと打ってたよ。
- うどんを打つのは男の人の仕事なのですか?
- そうそう。力がいるから。女の人は手伝い。おじいちゃんが塩加減はどうとか、一升に六杯とか言いながらやっていた。私はよく知らんけど、そういうのがあるらしいよ。「十六杯」というのを聞いたことがある。何が六杯か十六杯か知らんけど。
具はショウガとネギ、せいぜいカマボコ
- うどんはご馳走でしたか? しっぽくとか打ち込みうどんとかありましたか?
- ご馳走だったと思いますよ。具は入れてないけど。ダシとショウガとネギくらい。せいぜいカマボコ。しっぽくうどんは、うちのじいちゃん、ばぁちゃんはしてなかったね。打ち込みうどんもせんね。ひょっとしたかもしれんけど…。普通の温かいうどんか、放っといて冷えるか、水で冷やすか。氷はなかったから。
- 外に食べにいくことはなかったのですか?
- 考えたこともないね。
- 昭和40年くらいになると、そろそろ近くに製麺所ができたのではないですか?
- あまり外で食べた記憶はないね。じいちゃん、ばぁちゃんがおらんようになってからはあんまり食べなくなったね。法事のときに製麺所でとって食べるくらいになった。
- まんのう町はあまりうどんになじみが深くないのでしょうか?
- そうでもないですよ。みんな自分で作ってたんだと思うよ。私は親がおらんから間が抜けとるからわからんけど。うどんは好きは好きやけど、あまり食べた記憶がない。
- 最後にうどんにまつわる思い出があれば教えてください。
- 子どもの頃、法事で親戚が集まって、できたてのうどんの端っこの太いぺろっとした、そういうところが美味しかった記憶がある。手伝ったらくれよった。その端っこを食べるのが楽しみだった。