香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

昭和40年生まれの男性の証言

寒川高校の学食で入谷製麺のうどんが食べられた!

(取材・文:

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  • vol: 140
  • 2016.06.30

<子どもの頃のおやつは昆布と鰹節を入れた生醤油うどん>

――夏は凍らせた素麺やうどんを会社に弁当で持って行くほどの麺好きだと伺いましたが、子どもの頃から好物だったのですか?
 大好きでしたよ。子どもの頃(昭和50年頃)は、おやつもうどんでしたから。と言っても、おやつに食べるものはうどんしかありませんでしたが。家は農家だったので母も仕事が忙しく、「お腹が空いた」と言うと「うどんでも食べとけ!」という感じでした。 丼の中に生のうどん玉と昆布、鰹節、醤油、海苔、それに少しだけお湯を入れ、箸でガーッと掻き混ぜて食べていましたよ。今でいう生醤油のようなものですね。母親に時間があるときはうどん玉を湯がいてくれて、卵と刻みネギが具に加わりました。こっちは見かけは今でいう釜玉のようなものでしょうか。

<法事のお膳の最後は湯だめうどん>

――麺はどうしていましたか?
 たいていは地元の商店で買っていましたが、たまに母と一緒に作ることもありました。うどんを作る特別な道具は家にありませんでしたが、捏ねた生地をまな板の上で叩いたり、ビニール袋に入れて新聞紙で包み、足踏みしていたことを憶えています。 うどんを作ったときは、おやつだけではなく、晩御飯にもなりました。農家ということで野菜がたくさんあったため、しっぽくにして食べることが多かったです。

また家で法事を行う際にも、お膳のシメに出す一品として湯だめのうどんを用意することがありました。法事の料理はすべて家で作っていましたが、麺まで作っていたかどうかは憶えていません。

――地元の商店で販売されていた麺は、製麺所から卸されていたものですか?
 恐らくそうです。店内にはせいろが積まれていましたから。商店のうどん玉はセルフ販売でした。割り箸で欲しい数だけうどん玉を自分で取ってビニール袋に入れ、レジで申告します。当時、一玉20~30円くらいだったでしょうか。川添小学校の近くに店がありましたが、よくお遣いに行きました。 あと余談ですが、もともと商店のご主人は飴やアイスクリームなどを自転車で売り歩く紙芝居屋さんだったんです。頑張ってようやく商店をオープンさせたのですが、某大手スーパーが近くにやって来て…。紙芝居の楽しい話や、うどんのお遣いは今もいい思い出です。

<寄り道する場所は製麺所>

――近所にあった製麺所を憶えていますか?
 えっと……。一つが香川県中央自動車学校のすぐ北側にあった「藤村」という店です。その場で食べることもできました。もう一つが水田団地の北側にあった住居兼店舗の「西山」という名前の店だったと思います。ここも食べることができました。あと、協和中学校のそばの、元山橋の坂を下りたところにも製麺所がありましたが、店名は憶えていません。
――その製麺所を利用したことはありますか?
 3軒とも行ったことがあります。中でも「藤村」は、学校帰りによく寄り道しましたよ。というのも「藤村」の息子とは小学校のときに同じクラスで、とても仲が良かったんです。 店に行くとお母さんがいつもうどんをご馳走してくれました(笑)。メニューはかけと、トッピングにのせるきつねくらいしかありませんでしたが。でも、家で食べるうどんとはまったく違う美味しさが、子どもながらにもわかりました。

<高校の学食で朝からうどん>

――うどん店に友人がいると、いいことがあるんですね(笑)。
 実はもう一人、うどん屋絡みの友達がいます。長尾に「入谷製麺」といううどん屋がありましたが、そこのご主人の従兄弟と高校時代から友達です。入谷君のお母さんも入谷製麺で働いていましたし、二人が通っていた高校の学食のうどんは入谷製麺が卸していた麺でした(昭和55年頃)。
――本格的な麺を学食で使っていたんですね。ちなみに、出身高校はどちらだったのですか?
 寒川高校です。ここでもよくうどんを食べました。部活で朝練もしていましたから、お腹が空いて仕方なくて、休み時間おきに学食へ駆け込んでいましたよ。 そういえば当時、「入谷製麺」が「ズームイン!!朝!」で全国に生中継されたことがありました。入谷君も番組に出演したため、学校に遅刻してきたことを憶えています。その頃から周りの友達がユニークな入谷君を「うどん屋」と呼ぶようになりました(笑)。

――当時の寒川高校の学食では、どんなうどんが食べられましたか?
 かけ、きつね、月見の3つでした。僕らがあまりにも午前中に学食でうどんを食べたため、しばらくすると営業時間が昼のみになりました。それにしても、こうして振り返ってみると、成長期の食生活にうどんが大きく影響していたんですね。もちろん、入谷君とは今もいい友達です(笑)。

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