香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

昭和22年生まれの女性の証言

「うどん作り教室」に参加して、香川のうどんは「特別なもの」であることがわかった

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 139
  • 2016.06.27

<岡山から越してきて、小学校で体験した打ち込みうどん作りにびっくり!>

 高松にやって来たのは40数年前(昭和40年代)、下の子どもが産まれたばかりの頃です。それまでずっと岡山に住んでいましたので、当然、子どもの頃は讃岐うどんに縁がなく、その存在すら知りませんでした。 高松に住み始めて店でうどんを食べる機会ができましたが、もちろんそれは「昼食は当然、うどん」といった強い気持から生まれたのではありません。主人や子どもたちとたまに外食する際の、単なる選択肢の一つに過ぎませんでした。

そんな意識がガラリと変わったのは、高松で数年を過ごし、子どもが古高松小学校へ通うようになっていた頃。保護者を対象に小学校で行われていた文化教室の一つの「うどん作り教室」に参加したことがきっかけでした。

そこでまず、うどんの麺を作るということにビックリしたことを憶えています。さらに「うどん作りは香川県では古くから行われ、今も変わらず食文化を支えている地域がある」と聞き、再びビックリしました。そしてようやく、香川ではうどんが単なるメニューの一つではなく「特別なもの」だとわかったのです。

「うどん作り教室」で作ったのは、打ち込みうどんでした。古高松小学校の調理室か何かを利用して。麺を作るときに足踏みはしませんでしたが、他の作業は普段から学校の調理室などにあるものを使って対応しました。食材は持ち込みましたが、生地を手で捏ねたりと苦労して作ったからでしょうか、出来た打ち込みを食べたそのとき、初めてうどんを美味しいと感じました。

それからしばらくして岡山の実家に帰省した際、両親や集まった親戚に打ち込みうどんを振る舞いました。実家の畑で収穫した野菜を使い、教室で教えてもらった通りに作りましたが、自分と同じ衝撃をみんなも受けていましたね(笑)。香川県以外では恐らく、家で食べるうどんはビニールに入った袋麺が当たり前と思われていますから。作るのが難しくて家庭では対応できない、と。

打ち込みうどんと出会ってからは、「特別なもの」という意識でうどんを食べる機会が増えました。けれども、うどんを作ったのは教室と実家の2回だけ。それでも、身びいきかも知れませんが、店に負けないくらいの美味しい一杯でした。

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