香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

三豊市高瀬町・昭和24年生まれの男性の証言

うどん屋は居酒屋やった

(取材・文:

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  • vol: 3
  • 2015.07.08

うどん屋は居酒屋やった

昭和40年くらいまで、高瀬みたいな田舎にはうどん専門の店はなかった。だいたいが飯屋、今の大衆食堂みたいなもんやった。サバの炊いたんやイモの煮つけ、カシワと玉ねぎ、鶏のモツを炊いたんなどを小皿に入れておいとった。定番の「めし、汁」に、おかずを取るのが普通やった。ほかに、丼ものやバラ寿司や中華そばがあり、うどんもあるというくらいで、今のうどん屋とは全然違うもんやったがな。

けど、子どもはいつでも行けるようなものではなかった。100円小遣いもらったら、新名の松竹座で映画見ながら、森永ミルクキャラメルと酢昆布を買って、いにし(帰り)にうどんが食えるくらいやったのを覚えている、確かうどんが20円くらいで、中華そばがそれより高くて35円くらいでなかったかいな。
昼間は、土木作業員やトラックの運転手が弁当箱に入った白ごはんを持ってきてうどんを注文しよった。つまり、うどんはおかずやったんやがな。汁代わりにもなるしな。寒い時はぬくいし。

昼から飲む人もおったけど、夜はもっぱら酒が中心で、「いっぱい飲み屋」というか、居酒屋みたいなもんになった。近所の呑み助がやってきて酒を飲む場所だった。時には、宴会みたいになって、芸者が来て三味線を弾くこともあった。今のスナックみたいなんは丸亀や観音寺など、町へ行かんとなかったけんな。家が高瀬の町中やったけん、にっぎょし(にぎやかに)言う声が聞こえてくることもあったで。

国鉄の高瀬の駅前、昭和30年代の中ごろまでは上高瀬いう駅の名前やったけど、「まあよらんな」という食堂があったのを覚えている。今はないけど、ええ名前やと思うわ。

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