香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

観音寺市・昭和22年生まれの男性の証言

親父が作る「黄色いうどん」の思い出

(取材・文:

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  • vol: 141
  • 2016.06.30

カナダ産の強力粉に卵の卵黄を入れて作る「黄色いうどん」

うちの親父は「うどん打ちが上手い」と村でも評判だった。その親父が打つのが、なんと「黄色いうどん」なんや。私も小学生の頃から高校生の頃までよく手伝わされた。 うちは農家やったんで、農作業の時はお昼ご飯は必ずうどん食べてた。そのあと、3時のおやつにもうどんを食べるんや。それぐらいうどん好きな家やったな。もちろん農家やから、普段学校へ持っていく弁当は白米や。戦後の物がない時やけど、麦飯なんか食べたことがない。だから、うどんを打って食べるというのは、ほんとに親父の趣味やったんやろな。

昭和30年代の頃や、うどん粉を丸めたり延ばして切る以外は子供の仕事やった。子供の仕事は、まずいりこの頭と臓腑と骨を取る仕事や。量が多いので嫌やった。そして、うどん踏み。これも子供の仕事やったな。うどんを茹でる時のかまどの子守も子供の仕事やった。ガスがまだなくて、マキで沸かしてたからな。

それでうちの親父の自慢のうどんは、カナダ産の強力粉に卵の卵黄を入れて作るんや。塩にもこだわって「讃岐産の海塩でないとダメだ」と言ってたな。卵黄が入っているからうどんが黄色いんや。ラーメンみたいやけど、ラーメンじゃなかったな。やっぱり「腰が強いうどん」。

これが美味かってな。九州からいとこの子供がルノーに乗って遊びに来た時に、親父のうどんに衝撃を受けて、九州でこの黄色いうどんで商売したい言うて、しばらく修業してお店を出した。それから何年か商売してたみたいやで。

まんのうのうどん屋名物「ピリ辛」

親父は凝り性で、うどんを切る包丁も今のプロの人が使っているのと同じ、半自動の包丁を買ってタンタン切っていたぐらいや。それでも昭和40年代以降、「十日屋」という製麺所が近所にできてからは、そこからうどんを買うようになった。私もよく買いに行かされたな。 そんな親父の影響もあって、私もほんまにうどんが好きでな。「あそこのうどんが美味い」という噂を聞いたらすぐ食べに行ったもんや。うどんの基本は「かけうどん」やと思っているので、初めての店では必ず「かけうどん」を注文することにしてるんや。釜揚げも好きやけど、釜揚げの美味しい店は出汁を「丹下左膳の徳利」に入れているところやな。「大釜」とか「長田」とか。

「がもう」とか「三嶋」へ行った時は、うどんと出汁を買って来て冷凍して置いておくんや。出汁は持って帰ったらすぐ冷凍するんやけど、生麺はすぐ冷凍したらあかん。冬は常温、夏は冷蔵庫で一日寝かしてから冷凍すると美味しいんや。何度も試してみたから間違いない。

そや、まんのう地方のうどん屋に置いてある、「ピリ辛」の作り方も地元の人に教えてもらって家で作ってるんや。ほんま美味しいから後世に残しときたいレシピや。

「ピリ辛」の作り方 :
1材料
①生の唐辛子の葉、実(中心の茎を除く全て)
②大量の削り鰹節
③胡麻油
④味噌、醤油少々
⑤すり胡麻
⑥ニンニク(好みによる)

2作り方
フライパンで最初は強火で、火が通れば弱火で炒めて、余分な水分を飛ばす。

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