さか枝の「中」は、私の進言です(笑)
- 県庁周辺のうどんの思い出を聞かせてください。
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僕が昭和41年に県庁へ入庁した頃は、みんな家から弁当を持って来て食べるのが普通だったんです。県庁の前の「四五銭亭」とかで食べる偉いさんもいたけど、基本、弁当持参だったですね。当時は外で食べるのは贅沢な雰囲気だったんですよ。
近所のうどん屋は、僕は「久保」とかへ時々行ってたけど、久保はしょっぱかった思い出があります。確か27歳の時に「さか枝」ができて、そのあたりから毎日うどんを食べるようになったと思います。
さか枝はうどんが出来立ちのピカピカ、つるつるで、とにかく美味かったですね。ところが、小ではもの足りんし、大だと苦しくなるんです。それで女将さんに「大と小の間の中を作ったら?」と言ったんです。そしたら「お金はどうしよう?」と言われたものですから、「そら大と小の間じゃないですかね?」と言ったら、次の日からその通りになりました(笑)。
我々普通の事務職の男性なら、この「中」がちょうど良い量です。皆さんが中を食べるようになって、女将も喜んでました。今でも行ったら女将さんが奥から出てきて、「今日のうどんどうな?」と話しかけてきますよ。
最初の頃のさか枝は、うどんをどんぶりに入れるのに、お椀でうどんを量りながら入れてたんです。そしたら、県庁の先輩が「お客がたくさん並んで待ってるから、一筋二筋多くても少なくてもええから、そのまま入れたら?」と進言したんです。それ以来、さか枝では手掴みで直接どんぶりに入れるようになったんですよ。
昭和50年当時の値段は、はっきりとは覚えてませんが、小が45円か50円ぐらいだったんじゃないかと思います。