香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市番町・昭和22年生まれの男性の証言

偉いさんは「四五銭亭」、私ら庶民は「久保」と「さか枝」(笑)

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 147
  • 2016.07.20

さか枝の「中」は、私の進言です(笑)

県庁周辺のうどんの思い出を聞かせてください。
 僕が昭和41年に県庁へ入庁した頃は、みんな家から弁当を持って来て食べるのが普通だったんです。県庁の前の「四五銭亭」とかで食べる偉いさんもいたけど、基本、弁当持参だったですね。当時は外で食べるのは贅沢な雰囲気だったんですよ。

 近所のうどん屋は、僕は「久保」とかへ時々行ってたけど、久保はしょっぱかった思い出があります。確か27歳の時に「さか枝」ができて、そのあたりから毎日うどんを食べるようになったと思います。

 さか枝はうどんが出来立ちのピカピカ、つるつるで、とにかく美味かったですね。ところが、小ではもの足りんし、大だと苦しくなるんです。それで女将さんに「大と小の間の中を作ったら?」と言ったんです。そしたら「お金はどうしよう?」と言われたものですから、「そら大と小の間じゃないですかね?」と言ったら、次の日からその通りになりました(笑)。

 我々普通の事務職の男性なら、この「中」がちょうど良い量です。皆さんが中を食べるようになって、女将も喜んでました。今でも行ったら女将さんが奥から出てきて、「今日のうどんどうな?」と話しかけてきますよ。

 最初の頃のさか枝は、うどんをどんぶりに入れるのに、お椀でうどんを量りながら入れてたんです。そしたら、県庁の先輩が「お客がたくさん並んで待ってるから、一筋二筋多くても少なくてもええから、そのまま入れたら?」と進言したんです。それ以来、さか枝では手掴みで直接どんぶりに入れるようになったんですよ。

 昭和50年当時の値段は、はっきりとは覚えてませんが、小が45円か50円ぐらいだったんじゃないかと思います。

ページTOPへ